肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「映画鑑賞が好きで」
- 第2話「テレビ番組制作会社へ」
- 第3話「独立・結婚・子供の誕生」
- 第4話「首の付け根の腫れ」
- 第5話「がんの可能性が高い」
- 第6話「余命10ヶ月」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「セカンドオピニオン」
- 第9話「“逃げ馬”の戦い」
- 第10話「8年間という大切な時間を生き抜いて」
第5話「がんの可能性が高い」
テレビ番組を制作するフリーのディレクターとして活躍していた神奈川県横浜市在住の長谷川一男さん(47歳、2010年当時39歳)は、2010年2月からカラ咳と熱が出ていた。やがて右の首の付け根が腫れてきたので救急でみなと赤十字病院を訪れた。
夜の病院、CT画像検査室の前で待っていると何とも心細かった。
やがて、「これは、がんではないのか?」そんな思いが心の中に現れる。
だめだ、いま、そんなことを不安に思っても仕方がない、やめようと打ち消す自分。
自分との対話が繰り返されていた。
妻と待合室で座って待っていると名前が呼ばれた。
診察室に入ると、それまで担当していた30代の若い女性医師から、40代後半のベテランの男性医師に代わっている。
とっさに重たい話なんだろうと察し、長谷川さんの心は締め付けられる。
3人でCTの画像を観るが、担当した男性医師は苦渋に満ちた表情で、奥歯にものが挟まったような話し方をする。
まだ、画像診断医が診ていないし、生検も行われていない。
長谷川さんの「これ、何ですか?」の質問にも、妙に変な間があって、「肺炎の可能性もあり得ますね。まだ、解らないです」と返す。
何とも不思議で微妙な空気が漂っていた。
じれったいし、このままでは何一つはっきりしない。
このまま入院の手続きが進むのではないかと不安に感じた長谷川さんは、思い切って質問した。
「先生、これ、がんにしかみえないのですが…、どうでしょうか?」
男性医師はしっかりした表情で「はい、その可能性が高いです」そう返した。
この日、そのまま入院となり、妻は入院生活に必要なものを用意するため帰宅。
“がんの可能性が高い”
加速がついて坂を転げている感じがした。
入院病棟の4人部屋に移ったが、寝付くことはできなかった。
体温は38℃以上、右首が腫れてジンジンしているし、何より横になると呼吸がしにくく苦しいので、まるでソファーに寄りかかるようにして、ベッドの上で腰を曲げていた。
それから3日後、2月28日に気管支と肺に内視鏡を入れる気管支内視鏡検査が行われ、生検のために肺の患部の組織が摘み取られた。
病理検査にまわされ、診断が確定する。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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