【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー

肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「映画鑑賞が好きで」
  3. 第2話「テレビ番組制作会社へ」
  4. 第3話「独立・結婚・子供の誕生」
  5. 第4話「首の付け根の腫れ」
  6. 第5話「がんの可能性が高い」
  7. 第6話「余命10ヶ月」
  8. 第7話「抗がん剤治療」
  9. 第8話「セカンドオピニオン」
  10. 第9話「“逃げ馬”の戦い」
  11. 第10話「8年間という大切な時間を生き抜いて」

第3話「独立・結婚・子供の誕生」

高校生の時に映画・映像の世界の魅力を知り、大学卒業後テレビ番組制作会社に就職した神奈川県横浜市在住の長谷川一男さん(47歳、2004年当時33歳)は、キャリアを積み上げディレクターとして活躍していた。

大学を卒業する時、奨学金返済義務約380万円を背負って社会人をスタートさせた長谷川さんだったが、毎月約3万円、ボーナス時にプラスと、こつこつ返済し、30歳になる頃には返済目途がついていた。
だから温めていた交際を経て彼女と結婚し、翌年(2002年)には待望の長男が生まれる。
人生の階段を登っていた。

そんな頃、2003年に転機が訪れる。
勤めていた会社の業績が悪化したため、事業を引き継いだ別会社との間の雇用が、個人事業主(=フリーランス)としての契約に替わった。

そもそもフリーのディレクターとして番組を請け負うことが一流の証と言う番組制作業界、昔から、独立することに憧れがあった。
ただ、サラリーマンディレクターとしての期間が長くなり「自分が独立したとしてフリーで通用するのか?これまでの仕事は会社の看板があっての仕事なのかもしれない」
自信がなかったのも正直なところだ。

しかし、いざ、フリーランスになってみると、仕事の依頼が来て、毎月の収入が以前の2倍になる。
心配には及ばず、再び、キャリアを積み上げる。
その後の長谷川さんは幸せ続きだった。

2004年に2人目の子供、娘が誕生。
仕事は『報道ステーション(テレビ朝日)』の松岡修造コーナーを担当し、『SRS – スペシャル・リング・サイド(フジテレビ)』も担当。
常時2~3本のレギュラー番組を受け持つディレクターだった。

長谷川さんが活躍している頃、実家ではつらいことが起きていた。
父親が、肺がん(扁平上皮がん、ステージ4)を患い、闘病していたのだ。

昔からタバコを吸う人で、家の中には吸い殻の入った灰皿が置いてあった。
息子だからお父さんのことは好きだけど、幼い頃、自分も家族も嫌がるタバコを吸う父親の一面は好きになれなかった。

そんな父親が今、肺がんになり、一方、自分は会社務めからフリーランスの仕事人。
だから、健康には人一倍気を遣うようになり、毎年、人間ドックを申し込み受診していた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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