肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「映画鑑賞が好きで」
- 第2話「テレビ番組制作会社へ」
- 第3話「独立・結婚・子供の誕生」
- 第4話「首の付け根の腫れ」
- 第5話「がんの可能性が高い」
- 第6話「余命10ヶ月」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「セカンドオピニオン」
- 第9話「“逃げ馬”の戦い」
- 第10話「8年間という大切な時間を生き抜いて」
第1話「映画鑑賞が好きで」
「(余命は)10ヵ月くらいだと思います」
隣に座っていた妻の質問に医師がそう答えた。
しかし、あの時から、いま8年が経った。
肺腺がん(肺がん、ステージ4)を生き抜いている。
神奈川県横浜市在住の長谷川一男さん(47歳)は、父親が靴販売商人、母親は自営の美容師という家庭の長男として育った。下に妹が2人いる。
中学1年生のころ、たまたま、テレビで観た『ディア・ハンター(ロバート・デ・ニーロ主演)』という映画に魅かれる。
アカデミー賞作品で、その非日常感に圧倒され強烈な印象として心に残った。
当時のテレビ番組はと言うと、映画全盛時代でプライムタイムによく映画が放送されていた。
1週間のうち4日、どこかのテレビ局で洋画・邦画が流れている時代だった。
長谷川さんは、映画鑑賞が好きになり毎月のお小遣いや年初のお年玉は映画館でのチケット代に消える。
高校生の頃に住んでいた埼玉県春日部市の自宅から東京の銀座・新宿の映画館まで足を運び、毎月2回、多い時は週に2回も通うほどだった。
ジャンルは幅広く、アクション、ドキュメンタリー、コメディー、SF、アニメ、
そして池袋にあった文芸座で映画3本立てなどと言うと、1日中映画館にいる高校生だった。
だから、進路については映像を作る世界を選び、日本大学芸術学部映画学科を受験。
「それ以外の選択肢が見つからなかった」と言うのが正直な理由だ。
平成元年2月「合格」の知らせに「これで、自分の好きな道に行ける」と喜んだ。
そんな息子を誇らしく思ったのか、母親は「本当に受かっちゃうんだね」そう言っていた。
ただ、経済的に余裕のない家庭だったので、両親の負担とならぬようにと、奨学金を申し込み、卒業までの道筋をつくっていく、しっかり者の青年だった。
しかし…、入学すると苦労する。
周囲の同級生たちを見ると、すごい人がたくさんいる。
高校生のうちから映画作品作りをしている学生、映画評論の本を読み漁り、学び、コメントができるまでになっている学生。
映画というものに対してかける熱量が違うのだ。
いつの頃からか「勝てない…」そんな想いがわき出す。
しかも、映画作りの世界は徒弟制度が一般的で、奨学金という借入金のある自分は、どこにも弟子入りできないという現実も知る。
19歳の挫折だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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