子宮頸がん ステージ2 サバイバー 黒田奈美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「手に職を」
- 第2話「就職・結婚・出産」
- 第3話「シングルマザー」
- 第4話「母の肺がん ステージ4」
- 第5話「続く不正出血」
- 第6話「医師への不信感」
- 第7話「子宮頸がん ステージ1B2」
- 第8話「広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検」
- 第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
- 第10話「精神的な限界近く」
- 第11話「再就職と抗がん剤治療(TC療法)」
- 第12話「母との別れ」
- 第13話「続く試練」
- 第14話「なんとか乗り越えた」
- 第15話「看護師という目標へ」
第6話「医師への不信感」
2011年に調停離婚が成立しシングルマザーとなった埼玉県所沢市在住の黒田奈美さん(34歳、2013年当時29歳)は、生活の基盤を築くために一生懸命働き、娘と肺腺がん(ステージ4)の母親の世話をしていた。2012年から不正出血が続き、「おりもの」も頻繁に出ていた。
近所の婦人科クリニック(A)では、「問題なし。女性ホルモンが多いから、おりものも不正出血もある。健康の証」と言われ安心した。
嬉しい内容だからこの医師の言うことを信じてしまう。
ただ、その後も透明のゼリー状のおりものが出るし量も多くなってくる。
やがてほぼ毎日ナプキンをつけ1日のうちでも何回か取り換えている。
だから不安で、6月6日、別の婦人科クリニック(B)まで足を延ばし、診てもらった。
診察した非常勤の男性医師は「子宮頸がんの検査をしてみましょう」と言い、その日のうちに検査が行われ、翌週、結果が伝えられることになった。
しかし…、
エステサロンの仕事が忙しく、非常勤の医師の出勤日にそのクリニック(B)に行けない。
エステサロンでは、アルバイトのスタッフの出勤スケジュールが優先され、チーフの黒田さんは、事前にお休みの日を予定できないのだ。
たまに休みの日があっても、その医師の担当曜日ではなく、結果を聞けずじまいだった。
ただ…、「がんなんてないでしょ」そう思っていたのも事実だ。
7月3日、休みが取れたので、休診のクリニック(B)ではなく、最初に行ったクリニック(A)で診てもらった。
すると例の医師は「もしかして、性病かな?ピルでコントロールしてみますか?」何ともいい加減な対応だった。
仕事と子育てで忙しく、子宮頸がんの検査を受けたクリニック(B)にはなかなか行けない。
そんなもどかしい毎日が続き、あっという間に時間が経っていった。
季節が、秋、冬と変わり、12月、下腹部が痛くて立っているのがつらくなる。
腰も痛いし、それまでなかったのに顎のあたりにニキビが出始める。
「仕事、がんばり過ぎなのかな?」
相変わらず、不正出血が続き、おりものの量も多い。
毎日、夜用のナプキンをつけ、量は夏の倍くらいになってきた。
さすがに不安になり、例の婦人科クリニック(A)をよたび訪れる。
すると超音波検査が行われ「異常有りません」と断言される。
黒田さんは自分の身体のことが不安だったが、それ以上に、異常なし、大丈夫を繰り返すこの医師に対して何とも言えぬ恐ろしさを感じだす。なぜなら、異常はあるし、大丈夫ではないのだから。
「しばらく様子をみてみましょう」その医師は平然とそう言い、黒田さんを帰してしまった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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