【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー

    子宮頸がん ステージ2 サバイバー 黒田奈美さんのストーリーです。

    このストーリーの目次

    1. 【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー
    2. 第1話「手に職を」
    3. 第2話「就職・結婚・出産」
    4. 第3話「シングルマザー」
    5. 第4話「母の肺がん ステージ4」
    6. 第5話「続く不正出血」
    7. 第6話「医師への不信感」
    8. 第7話「子宮頸がん ステージ1B2」
    9. 第8話「広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検」
    10. 第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
    11. 第10話「精神的な限界近く」
    12. 第11話「再就職と抗がん剤治療(TC療法)」
    13. 第12話「母との別れ」
    14. 第13話「続く試練」
    15. 第14話「なんとか乗り越えた」
    16. 第15話「看護師という目標へ」

    第1話「手に職を」

    「結果はまだ出ていないけど、子宮頸がんかもしれません」はっきりそう言われた。
    心がはち切れそうになっていた。
    シングルマザーのがん患者になった。

    埼玉県所沢市在住の黒田奈美さん(34歳)は、熊本県で3人兄弟の末っ子として生まれた。
    小学校6年生の時、父親の転勤に伴い埼玉に転居したが、学校の宿題で出た将来の夢について書く作文を母親に相談すると、「看護師が、よかたい」と勧められた。
    高校3年生になり、進路を相談したときも母親から「看護学校に進学して看護師になればいい」と言われた。
    手に職があると有利だというのだ。

    何か特別やりたいことがある訳でもなかったし、経済的に苦しい家庭のことを考えると大学への進学は考えられなかった。
    黒田さんは母親の顔を立てるために、一応、看護学校への入学試験を受験。
    しかし、十分な勉強をせずに受けたため、結果は不合格。

    「あー、やっぱりな」当然の結果と受け入れたが、ほろ苦い経験だった。
    未だ自分がどんな仕事に就きたいか解らず、働くことへの意識とか、職業観が無いまま卒業した。

    その後、携帯電話会社に就職し働いていたが、生活が乱れ、時々、母親と口論になった。
    “私の人生なのに、何が問題なの?!”
    そんな想いから反発した。
    「手に職をつけなさい」が口癖の母親がある時、エステの学校に行けばよいと提案する。
    美容は興味のある分野で、学校の授業料も出してくれるというので一つ返事で了解。

    2003年4月に滝川エステティック学院に入学した。
    すると…、授業と勉強そのものが、とても楽しい。
    皮膚科学、大脳生理学、生理解剖学、衛生管理学、フェイシャルマッサージの実技、

    楽しくて勉強するから、自然と成績が上がり、18~42歳の女性40人のクラスで常に上位にいた。
    1年のカリキュラムの終わりが近づきインターナショナル・エステティシャンの資格が取れる頃、担任の女性教師から「インストラクター」として学校に就職しないかと誘われた。
    とても光栄な話だし、母親もよろこぶ。

    2004年4月にエステティック学院の運営母体である滝川株式会社に新入社員として就職。
    20歳の年に社会人として新たなスタートを切った。

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    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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