子宮体がん(子宮内膜がん)・卵巣がん ステージ1 サバイバー 大山志乃香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大山志乃香さん 子宮体がん・卵巣がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「大学生から30代まで」
- 第2話「大きくなる胸のしこり」
- 第3話「乳腺繊維腺腫の手術へ」
- 第4話「子宮頸がんと子宮体がんの検査」
- 第5話「子宮体がん(子宮類内膜腺がん)告知」
- 第6話「家族・会社への報告」
- 第7話「腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検」
- 第8話「同時多発」
- 第9話「抗がん剤治療」
- 第10話「寛解」
- 第11話「自分にできることを」
第7話「腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検」
2015年、不正出血が続き広島女性クリニックで子宮頸がんと子宮体がんの検査を受けた広島県広島市在住の大山志乃香さん(46歳、2015年当時43歳)は、子宮体がん(子宮類内膜腺がん)の告知をうけた。手術を受けるために広島市立広島市民病院に転院した。
担当したのは60歳を越えた男性医師で、体格ががっしりしている割には、優しい温和な人だった。
クリニックの医師と事前に連絡し合っていたそうで、今後のことを中心に説明する。
手術予定日は1ヶ月後の、5月22日。
術式は、腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検。
つまり、子宮も卵巣も全部摘出するというもの。
“やっぱり、そうなんだ…。(正直、年齢も年齢だから赤ちゃんは無理だけど)これで、もう子供は産めなくなる。でも、それで命が助かるのなら、仕方がない…”
静かな、そして複雑な気持ちで説明を聞いた。
このとき大山さんは「手術を受けたら、(それ以上の治療は無く)終わり」と思っていた。
恐らく、医師もそう思っていたはずだ。
手術までの1ヶ月間、大山さんはなるべく楽しいことをしようと決めていた。
妻のその気持ちを察して、夫は仕事を調整して2人の共通の楽しみであるプロ野球・広島東洋カープの試合観戦に3回も広島市民球場(現・マツダズーム・ズームスタジアム広島)を訪れる。
赤色のカープのユニフォームを着て、メガホンをもって応援した。
来るべき手術までの時間を有効に楽しんだ。
2015年5月22日、広島市立広島市民病院。
夫、夫の両親、そして東京の姉が駆け付け、夕方6時から3時間に及ぶ手術が行われた。
東京の両親は広島まで行く体力がないとして、東京で手術の無事を祈った。
夜10時、オペは無事に終わり、大山さんは手術室で目が覚める。
起こしてくれた医師と握手して「ありがとうございます」そう伝えたのを覚えている。
手術後はもっと痛みがあるのかなと想像していたが、意外と軽く、本当に手術を受けたのかと不思議な感じがしていた。
翌日、医師から受けた手術の説明はこうだ。
「子宮内にがんがとどまっていたので、多分、これで終わりです」
初期の子宮体がん(ステージ1)と伝えられ、ホッとした。
手術から時間が経つにつれて、みるみる回復した。
見舞いに来た友人から「本当に手術受けたの?」と驚かれ、自分でも「私、がんだったのかな?」そんな思いすらしていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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