【ストーリー】大山志乃香さん 子宮体がん・卵巣がん ステージ1 サバイバー

子宮体がん(子宮内膜がん)・卵巣がん ステージ1 サバイバー 大山志乃香さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大山志乃香さん 子宮体がん・卵巣がん ステージ1 サバイバー
  2. 第1話「大学生から30代まで」
  3. 第2話「大きくなる胸のしこり」
  4. 第3話「乳腺繊維腺腫の手術へ」
  5. 第4話「子宮頸がんと子宮体がんの検査」
  6. 第5話「子宮体がん(子宮類内膜腺がん)告知」
  7. 第6話「家族・会社への報告」
  8. 第7話「腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検」
  9. 第8話「同時多発」
  10. 第9話「抗がん剤治療」
  11. 第10話「寛解」
  12. 第11話「自分にできることを」

第1話「大学生から30代まで」

「子宮体がんと卵巣がんの同時多発と考えられます。今後、予防的に抗がん剤治療をした方がいいと思います」
「??、えっ?同時多発…、予防的な抗がん剤治療…?」
目の前の医師が言っていることが、よく解らなかった。

まだ、東京で大学生だった頃、右側の胸にコロッとしたものがあると気づいた広島県広島市在住の大山志乃香さん(46歳、1992年当時21歳)は、何かおかしいと思った。
右の胸にだけ何かがある…。
でも、体調は悪くなし、食欲もあり、しかも、まだ大学生だし、病院に行って病気とか言われたら嫌だから、ちょっと気になったが、そのままにしておいた。

その後、大学を卒業した大山さんは、「空間をつくる」会社に就職。
とてもおもしろい会社で、商業施設、博物館、ショールーム、展示スペースなど、ありとあらゆる「空間」について企画・設計から、工事、運営まで行う会社。
その会社の本社(東京都港区)に、1993年、22歳の時に就職した。

就職して6年目、学生時代からお付き合いをしていた彼氏と結婚。
広島に帰省して就職した彼氏だったので、遠距離恋愛5年の末の結婚だった。
転勤を伴わない社員だった大山さんは一旦退職し、同じ会社の広島支店で契約社員として再雇用される。
二人の幸せな生活が始まった。

一方、右胸のしこりはと言うと…、
時々、気にはなったが大丈夫だろうと思い、そのままにしておいた。
姉が看護師をしていたので、相談したこともあったが8年間、大きくなっていなかったので、病院には行かずじまいだった。

31歳になった時、会社の健康診断で医師との面談があった。
その時、何か気になっていることはありますかと質問されたので、初めて伝える。
「先生、私、右の胸にしこりがあるんですけど…」
きちんと検査をした方が良いと言われ、広島市内の中規模総合病院への紹介状を書いてもらった。
後日、外科を訪れると(当時、乳腺外科は無かった)、さっそく検査が行われた。
マンモグラフィー、触診、血液検査、CT画像検査、そして生検。

その結果、「乳腺繊維腺腫」であり良性の腫瘍と言われ、今後は1年に1回経過をみることになる。
「やっぱり、そう(良性)だったんだ…」

正直、安心し、こんなことなら、もっと早くに検査を受けてスッキリしていればよかったと思った。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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