子宮体がん(子宮内膜がん)・卵巣がん ステージ1 サバイバー 大山志乃香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大山志乃香さん 子宮体がん・卵巣がん ステージ1 サバイバー
- 第1話「大学生から30代まで」
- 第2話「大きくなる胸のしこり」
- 第3話「乳腺繊維腺腫の手術へ」
- 第4話「子宮頸がんと子宮体がんの検査」
- 第5話「子宮体がん(子宮類内膜腺がん)告知」
- 第6話「家族・会社への報告」
- 第7話「腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検」
- 第8話「同時多発」
- 第9話「抗がん剤治療」
- 第10話「寛解」
- 第11話「自分にできることを」
第10話「寛解」
2015年、不正出血から子宮体がん(子宮類内膜腺がん、ステージ1A)がみつかり、広島市立広島市民病院にて手術(腹腔鏡下子宮全摘術+両側付属器切除+骨盤リンパ生検)を受けた広島県広島市在住の大山志乃香さん(46歳、2015年当時44歳)は、手術後の病理検査で卵巣がんも見つかり、7月から抗がん剤治療(TC療法、パクリタキセル、カルボプラチン)を受けていた。
抗がん剤治療中、大山さんは入院を除き、毎日、会社に行き仕事をした。
職場の人たちの理解とサポートがあったからこそ、できたことではあるが、毎朝、夫が車で会社まで送ってくれたことが大きい。
妻想いの夫が、毎日、送迎してくれた。
抗がん剤治療(TC療法)はスケジュール通りに淡々と進んだ。
8月13日に第2クール、9月17日に第3クールとこなし、10月中旬には予定していた全3クールを終えた。
当初、治療を受けようか、拒否しようかと、あんなに悩んだ抗がん剤治療だったが、終わった時、「こんな程度に(負担が少なくて)終わって良かった」素直にそう感じた。
あそこまで悩む必要なんてなかったんじゃないかと思ったほどだ。
そして2015年12月に受けたPET-CT画像検査では、何も問題なしとなり、スッキリする。
翌年3月には、ウィッグ(かつら)がとれ、気分的にはとうとう前の生活に戻れたと感じる。
晴れ晴れとした気持ちになり第1段階の区切りがついたときだった。
大山さんは、自分のがんの時間的な区切りを4月10日にしている。
子宮体がんの告知をうけた日だ。
2016年4月10日、がんから1年の日を無事に迎えた。
ある時、友達にこう言われた。
「がんのつらい体験話はよく聞くけど、(あなたのように)副作用も少なく、心身の負担も軽くて、仕事もしながら治療できている人もいるんだね」
その時ハッとした。
確かにそうかもしれない。手術入院だって1週間で済んだし、抗がん剤治療中でも普通に生活できた。
更に、その友人からこうも言われた。
「こういう人もいるんだって発信しても、いいんじゃない。不安がっている人がたくさんいるんだろうからさ」
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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