乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第15話「自分と向き合った2年半」
乳がん(浸潤がん、ステージ4、ルミナルB、HER2・陰性)と診断され、抗がん剤(パクリタキセル)治療を始めた沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2015年当時45歳)は、劇的な治療効果がでていた。そして抗がん剤治療を終え、2016年1月に昭和大学病院に転院した。
2016年2月、ホルモン療法が始まった。
1日1回、朝食後にタモキシフェンを服用する治療。
外来での診察は3ヶ月に1回、昭和大学病院で行うもので、ほとんどの時間を石垣島で過ごす。
1年前には想像もできなかったが、元の生活に戻っていた。
あの時は胸膜播種を発症し、みんなが「もう、ダメか…」と覚悟した。
でも、恵さんは牧場に戻り牛の世話をしている。
すごいことだ。
2016年12月。ホルモン療法に使用する薬をタモキシフェンからレトロゾールに替えた。
また抗がん剤(エンドキサン)の服用を開始。
年末に病院を受診した際に医師と相談の上そうすることにした。
ランマーク、骨転移の皮下注射も2ヵ月に1回受けている。
そして、いま…。
2015年2月の競(せ)りで頭痛がして救急で沖縄県立八重山病院に運ばれた日から2年半がたった。
胸膜播種で本当に危うかったときから2年半。
恵さんは夫の和史さんと牧場で牛の世話に汗を流している。
治療を続けているから体調の良い日と悪い日の波がある。
仕事量でいえば病気前の半分くらいしかできない。
でも家事から何から自分でやれているのだ。
今、改めて牛飼いとして幸せだと思う。
家族のような牛たちの世話を毎日しているが、牛が幸せそうにしているのを見ると自分も幸せになるという。
優秀な子牛を育てる農家として、相変わらず注目される比屋根牧場には、今でもメディアからの取材依頼が絶えない。
恵さんと和史さんは、その取材に快く応じている。
この2年半、恵さんは自分と向き合った。
日常のありがたみがわかり、生きていること自体に価値があると知った。
1日1日を一生懸命に生きる。
当たり前だが、とても大切なことだ。
今日一日を大切に生きる。
それを続けている恵さんだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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