卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第7話「がん治療のために勧められた中絶」
紹介先の東京慈恵会医科大学附属病院を訪れると産科から婦人科に移されさまざまな検査を受けた東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、夫と検査結果を聞きに行った。悪性腫瘍の疑いが高いと説明されお腹の中の赤ちゃんは中絶せざるを得ないという。
がん治療のために勧められた中絶。
身体が硬直していた。
頭が混乱するなか、絞り出すように声を出した。
「先生、赤ちゃんは諦めます。上の子のためにも、少しでも長く生きたい」
とても重く、つらい会話だった。
それから…。
病院をでた柳沼さんとご主人は家路に向かった。真冬の2月の寒い日で夕方の風が身にしみた。
二人とも口数が少ない。
「やばいよね…」夫に向かいそう言ったのを覚えているが、それ以外のことは何も覚えていない。
世の中のものがすべて灰色にみえた。
自宅に戻る途中、保育園に立ち寄り娘をひきとった。
無邪気な娘をみていると心が押しつぶされそうになった。
柳沼さんは、この日を境に“死”を意識する状況になった。
まだ悪性と確定したわけではないが、腫瘍マーカーの値が異常値であるのは現実であり、事態はどんどん悪いほうへ流れていることに気付いていた。
「娘はまだ2歳なのに。もしかしたら母親のいない子になってしまうのだろうか…。本当にがんになってしまったのか。まだ35歳なんだけど」
何もかもが信じられなかった。
そして翌日からは、化粧やお洒落をする気もわかなかった。
でも、身支度をして、いつものように保育園に娘を送り出した。
保育園の先生とママ友たちともいつものように明く挨拶する。
それから満員電車に揺られ職場へ行き、普段と変わらず仕事をこなした。
厳しい状況の中、それでも歩みを止めることなく自分のやるべきことをこなしていた。
ただ、夕方、仕事を終え、家に帰ってからは特別につらかった。
夫が仕事から帰宅するまで、オムツをはいた小さな娘と二人で過ごす時間。
娘の小さな背中や笑顔を見ていると、涙が止まらなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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