卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第1話「2人目の赤ちゃん」
「まず(大事なのは)あなたの命です。もしも分娩できることになったら、その時は優先してあげますから」
担当医からそう言われた。
お腹の中の赤ちゃんよりもがん治療を優先させるべきだという意味だった。
東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、大学を卒業した後、製薬会社に就職した。
入社以来、新薬の開発研究におけるプロジェクトマネージャーの仕事に携わっていた。
苦労も多いが、それなりにやりがいを感じていた。
2008年に以前からお付き合いしていた彼と結婚。
ただ、結婚後なかなか赤ちゃんに恵まれず、つらい思いをした期間がある。
不妊治療も経験した。
しかし、こういう命のことは神様に任せようと決め不妊治療をやめ、しばらくして赤ちゃんを授かる。
その喜びは大きかった。
2012年10月、柳沼さんは長女を出産。待望の赤ちゃんの誕生だった。
その後、産休・育児休暇を経て2014年4月に職場に復帰。
1歳半になった娘は保育園に通い始める。
それからは、育児、家事、仕事にと三足の草鞋(わらじ)を履いたような生活。
忙しいながらもとても充実していた。
年が明けて2015年1月。
柳沼さんは、最初の妊娠の時と同じような体調の異変を感じる。
もしかして…と思い薬局に行き妊娠検査薬を購入。
結果は(+、陽性)。
「奇跡だ!また、赤ちゃんを授かることができるなんて!」
家族が増えることを望んでいた柳沼さんは、嬉しい検査結果で自然と心が華やいだ。
最初の出産の時は、実家のある静岡に里帰りして産んだ。
しかし、2歳の長女がいるいま、中々そうもいかない。
幼い娘と夫が二人きりで生活するのは例え短期間であっても忍びない。
一方、娘と静岡に帰り出産するとなると、せっかく保育園に馴染み始めた娘を長期間休ませることになる。だから2人目の赤ちゃんは、都内で出産することを前提にして近くの病院を探すことにした。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-