卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
卵管がんの摘出手術を終え、半年近くの抗がん剤治療(TC療法+分子標的薬アバスチンの投与)をこなした東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、2015年10月に復職した。
2016年7月13日、前年の8月から始まったアバスチンの継続投与が終了。
長いようであっという間だったような、あっという間で長かった気がする治療だった。
翌年2017年3月5日。
柳沼さんは、手術後2年という記念日を無事に迎えた。
お腹には手術の大きな傷跡が残っている。
手術を終えて間もないころ娘と一緒に風呂に入ると、娘はそれを見て怖がった。
そんな娘も4歳になった。
いま、その傷跡を見て「ママのお腹に富士山がある!」と嬉しそうに言う。
傷の形が山形になっているからだ。
そんなとき、柳沼さんはこう返す。「この富士山はね、ママの勲章なんだから」
そして、いま。
毎朝、娘を保育園に送り出し、満員電車に揺られて職場に向かう。
職場に着くと同僚と仕事をし、夕方、娘とともに帰宅して家事をこなす。
病気前の懐かしい、忙しい日常が戻っている。
今でも、がんの告知を受けた時と同じ季節になると胸が苦しくなることがある。
でも、ささやかな毎日にこそ幸せを感じる。
当たり前のことなんて何一つない。
満員電車でさえ嬉しく思える。
病気になる前と病気になってからでは、人生観がすっかり変わっていた。
週末となると夫と娘の3人でよく出かける。
房総半島でドライブ、伊豆や熱海への温泉旅行。
ちょっと遠出して、長野県茅野市の白樺湖まで。
シンプルに、そして1日1日を丁寧に生きる。
お世話になるすべての人、物に、そして命をかけて病気を教えてくれた赤ちゃんに感謝し、今、幸せな時を過ごしている。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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