卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第13話「通院治療と復職へ」
卵管がんの摘出手術を終えた東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、3月から半年近くまで抗がん剤治療(TC療法+分子標的薬アバスチンの投与)を受けていた。
パクリタキセル、カルボプラチンにアバスチンを加えた抗がん剤の投与が8月1日に終わった。
入院を伴う治療がついに終了した。
ご主人と一緒にタクシーで帰宅すると、娘がひまわりの花束を持って玄関で出迎えてくれた。
またひとつ、嬉しい区切りの日となった。
その後撮影したCT画像検査では、がんの影は映らない。
腫瘍マーカーCA125(基準値35U/ml以下)も1桁まで下がり落ち着いていた。
大変な時期を乗り切った感じだった。
卵管がん、進行ステージ3C.
傍大動脈リンパ節にもがんが転移していた。
柳沼さんが参加した前向き観察研究は、「TC+アバスチン」の治療6クールのあと、さらにアバスチン単剤の治療22回が予定されていた。
入院こそしないが引き続き通院型で治療を続ける。
そんな状況のなか職場に復帰することは不安もあった。
自分ががん患者であることをどこまで公表したらよいのか?悩んだ。
同情の目で見られるのは嫌だ。
好奇心の対象とされるのも嫌だ。
過度に心配してほしくない。
いろんな気持ちが混在するなか、柳沼さんは7ヵ月ぶりに会社に復職した。
かけがえのない“日常”を取り戻していく喜び。
「人間界」という本来の世界に戻ってきたような実感があった。うれしかった。
ついこの前までは雲の上の世界に吸い込まれてしまうのではないかと思っていた。
だが、いま再び地上のもといた場所にいる。
幸せだった。
次のページを読む >> 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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