腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第7話「つらくて仕方がない」
食欲不振、下痢、息切れから消化器内科を受診し、その後血液内科を受診、さらに呼吸器内科で胸水を抜き取って再び血液内科で検査を受けていた大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)は、PET検査の結果、卵巣が腫れていると言われ今度は婦人科を受診することになった。体調が悪化しているのに病名が解らないまま時間ばかり過ぎていた。
京都大学医学部附属病院から大阪の自宅に帰る途中、ガソリンスタンドに立ち寄っていた。
その給油中に携帯電話が鳴る。
でると先ほどの女性医師からだった。
「血液検査の結果、卵巣の腫瘍マーカーが高い値を示しているんです。明日また病院に来てください。そしてすぐに婦人科を受診してください」
大急ぎの電話だった。
どんどん危険な状況になってきている感じがした。
八尾さんは電話を切ったあと涙が止まらず大泣きする。つらくて仕方がないのだ。
それを隣の運転席で見守っている夫。
「ともかく治してもらおう…」浩一さん(仮名)は泣きじゃくる妻にやっとの思いで声をかけた。
ガソリンスタンドをでてから帰宅するまで涙が止まらず泣き続けた。
この頃の八尾さんは自宅ではもう動けないような状態だった。
それでもと思って風呂に入るが激しく息が切れてゼーゼーして風呂からでると布団の上でばたんと横になるほど消耗した。
厳しい状況が続いていた。
翌日、京都大学医学部附属病院婦人科を受診し、担当した男性医師にこれまでの経緯を伝えた。
この医師は診察する際、他の医師を呼んで二人で喋りながら診察する。
「ダグラスカにあるね…、触れているよね」
何を話しているのかよく解らなかったが卵巣が腫れていることは解った。
一通りの検査を終えると、実はその医師は3月末で異動し別の病院に転勤するのだと言う。
だから次の予約は別の婦人科医になると伝えられここでも落胆する。
なんでこう上手くいかないんだろう…。
毎回、担当の医師が替わるたび不安を感じる。
そして4月1日、新年度開始の日。
京都大学医学部附属病院婦人科の別の医師から電話連絡が入った。
「4月3日から検査のために入院しませんか?」そういう連絡だった。
夫の浩一さんが「家のことなら俺がやるから大丈夫」と言い、ついに入院が決定。
2人の娘たちには「しばらくいなくなるけど、みんなで協力してね」と伝えた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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