腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第2話「改善されない体調不良」
2014年・秋、食欲不振からなかなか食べられなくなり体重が減り続けていた大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2014年当時47歳)は、あまり心配せず良いダイエットの機会くらいにとらえていた。翌年1月、父親の入院もありバタバタした毎日で自分の体調を心配するどころではなかった。
2015年1月、父親の入院は長期化の見通しになり見舞いとお世話は比較的自由度の高い八尾さんの妹が担当することになった。
一方、大学2年生の長女と中学2年生の次女の母親である八尾さんは毎日忙しかった。
パートの仕事が午後3時半に終わり、4時半に帰宅するとさっそく夕食づくりや洗濯などの家事に追われる。
次女が学習塾に通っているため夕方6時の通塾バスに間に合うように4時半から6時までの間に家事を終わらせるのが毎日の日課だった。
子育て真っ最中の母親にありがちな多忙極まる日々。
塾に送り出したあと夜7時すぎに身体を休めるために昼寝というか夕寝が出来るだけだった。
食欲不振で体調イマイチの状態を押して毎日の家事をこなしていた。
この年の正月から書き始めた手帳日記には、「しんどい」、「だるい」、「頭が痛い」という言葉が並ぶ。
時には脚の付け根に痛みを感じることもあった。
「なんでこんなところが痛くなるんだろう…、生理と関係あるのかな?」
そんなことも書かれている。
しかし、1月末になっても一向に食欲不振と体調不良は改善されない。
体重もピーク時から6kg以上減った。
やせてラッキーと思う反面、そろそろ病院に行った方がいいのかなと思い出す。
家で常にぐったりしている八尾さんをみて、夫と娘たちも「病院に行ったら」と勧める。
意を決して2月中旬、近所のクリニックに行った。
行くと季節柄インフルエンザの検査をされた。
鼻に綿棒を入れられる嫌な検査だ。
結果は、「インフルエンザ・陰性」
安心すると言うよりも、病院に行ってもこの程度の検査しかしないのかと落胆した。
2週間後の3月2日は会社で毎年行っている健康診断が予定されている。
「そこで調べればいいや」そんなつもりにしていた。
しかし2月下旬。
お腹をくだし下痢が毎日のように起こる。
ひどい時は仕事中に席を外し1時間毎に下痢でトイレに行くほどだ。
やがてその下痢の色が黒っぽくなってきた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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