腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第13話「日常を取り戻して」
食欲不振、下痢、息切れから始まり、病名が解らないままどんどん体調が悪化して一時は死すら意識した大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)だったが、その後、試験腹腔鏡手術と抗がん剤治療(TC療法)により寛解となった。
2015年・秋
がん治療を終えた八尾さんは、週末を使い父親の見舞いに行き出した。
母親と一緒に病院に行くこともある。
その病院は八尾さんの自宅から離れた街にあるので頻繁にはいけないが時間を見つけていく。
応援される側だった自分が応援する側になったのは嬉しい。
八尾さんはゆっくりだが体力も回復してきている。
年が明けて2016年1月。
新聞を眺めていたら四国88ヵ所お遍路(おへんろ)バスツアーの案内が目に留まった。
月1回、毎月あり、これならそんなに負担じゃない。
妹に連絡し2人でお遍路バスツアーを始めた。
久しぶりの旅行で純粋に楽しい。
霊場に行くといつも父親の病気の快方と自分の病気が二度と起きないことをお願いする。
1月末、リクルーティング活動として気軽に就職試験を受けてみた。
ショッピングモールの管理事務所の仕事だ。
そうしたら…。
なんと採用通知が届く。
正直びっくりしどうしようかと思った。
気持ち的にはまだゆっくりやっていきたいと思っていたのに3月上旬から仕事がスタートだと言う。
心の準備ができていないうちの吉報。
でも、働けるのは嬉しい。
家でじっとしていると楽しくないのだから。
思えば2015年、京都大学医学部附属病院の医師との最初の面談で「治療を受けなければ余命半年から1年」とも言われた。
それからすでに2年半。
八尾さんは友人たちから「やお」さんをもじって「八百万神(やおよろずのかみ)」と(笑いながら)言われることがある。
厳しい病気と厳しい状況を乗り越え社会に戻る、本当に凄いことをした人だと言う敬服の意味が含まれている。
八尾さんは今日もショッピングモールの事務所でマイクに向かい「ご案内」放送をしている。
時を経て、再び、かけがえのない日常を取り戻している。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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