腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第11話「抗がん剤治療の終了」
「漿液性腺癌(しょうえきせいせんがん)、腹膜がん、ステージ4B」と診断が確定した大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)は、試験腹腔鏡手術のあと抗がん剤治療(TC療法)を受けていた。
自宅にいるとまるで自分の居場所がないかのように感じていた。
体調が悪く何もできないからだ。
真面目で一生懸命な八尾さんは、自宅で家事をできない自分を責め、窮屈な気持ちになっていた。
「こんなことなら入院していた方が精神的に楽だった…」
入院病棟の4人部屋は一緒に治療を受けていた同志ともいえる仲間がいた。
まるで女子の合宿みたいでそれなりに良かった。
夫も娘たちも私にこんなに優しくしてくれる。
でも患者の気持ちは同じ患者にしかわかってもらえない気がする。
入退院を繰り返す生活になった6月は最悪の精神状態だった。
その頃、八尾さんの心の支えの一つは入院中に知り合った良江さん(仮名)だった。
同じ病室で明るく前向きな良江さんは常に周囲の人たちを笑わせてくれた。
子宮頸がん(ステージ2)の患者だったが、ともかく楽しい人でみんなの人気者だった。
2泊3日の入退院の生活に入ってからは、お互いメールで連絡し合う仲になっていて、八尾さんには彼女の存在がとても大きかった。
7月、この頃は毎週スーツケースをもってバスと電車を乗り継ぎ京都大学医学部附属病院に行き、3日間の入院をこなしていた。
ある日、医師と面談したとき不思議なことを言われる。
「抗がん剤がとてもよく効いています。このままだと手術しないかもしれません」
予定では8月にオペだったのに急にそんなことを言われた。
手術がないことを喜ぶと言うより、むしろ不安とがっかりで何となく不信感を感じたくらいだ。
抗がん剤はよく効いて腫瘍マーカーCA125は一本調子で下がっていた。
CA125(基準値35 U/mL以下): 3065(3月26日)→478(5月11日)→94(6月1日)
そして9月に入るとCT、PET、MRIすべての画像検査でがんは消えた。
9月30日、八尾さんは合計6クールのTC療法を終え、全てのがん治療を終了。
しかし「手術して悪いものは取ってほしい」との思いから逆に手術を受ける患者が羨ましかったほどだ。
複雑な心境の中、八尾さんの抗がん剤治療は終えた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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