腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
2015年3月18日に撮影したCTで悪性腫瘍の疑いとあり、その後さまざまな検査を受けたががんを特定できず3週間近くが過ぎていた大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)は、腹膜がんの疑いが強いとして試験腹腔鏡手術を受けることになる。
夫の浩一さん(仮名)は4人で治療方針を聞いた夜、会社の仕事を終えてから京都大学医学部附属病院にかけつけていた。
この頃の八尾さんの家族はというとそれぞれに事情を抱えていた。
父親は年末に倒れて以来いまだに入院している。
八尾さんの妹が時間を作っては父親の世話と見舞いに行っていた。
一方自宅に一人残された母親はというと軽度認知症と診断されていたので、八尾さんががんであることは伝えないでおいた。
もし自分の娘ががんであると解れば認知症が進行してしまう恐れがあると看護師に忠告されたからだ。
だから八尾さんは両親に頼ることができず浩一さんががんばっていた。
母親に自分の病気のことを隠し続けることはつらかった。
4月16日、胸水を抜く処置が再び行われた。
胸にドレーンを入れて抜くのだが血液と一緒に相当な量が出た。
そして翌日、4月17日、試験腹腔鏡手術が行われた。
卵巣、卵管、腹膜の組織を外科的に取り、病検査を行うものだ。
オペは5時間以上に及んだ。
手術後、八尾さんがまだ目を覚ましていないとき、主治医が検査結果を浩一さんに伝えた。
病理・漿液性腺癌(しょうえきせいせんがん)、部位は腹膜がん、進行ステージ4B.
次の日からさっそく抗がん剤治療(TC療法)が行われると説明された。
そして始まったTC療法。
抗がん剤、カルボプラチンとパクリタキセルを点滴で投与するものだった。
初日にカルボプラチンとパクリタキセル、間をおいて第8日目と第15日目にカルボプラチンを入れる1クール21日間の全身化学療法。
八尾さんは医療系のテレビドラマを観るのが好きだったが抗がん剤治療なんて自分には無理だと思った。
観ているだけで怖くて仕方がなかったからだ。
でも実際に自分がなってみるとそんなことは言っていられない。
「下の娘が20歳になるまで生きなくちゃ」
そんな強い想いが八尾さんを突き動かしていた。
泣いてばかりの毎日だったが、ともかくがんばる、そんな強い気持ちで抗がん剤TC療法を受けていた。
次のページを読む >> 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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