中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4a サバイバー 三枝幹弥さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】三枝幹弥さん 中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4 サバイバー
- 第1話「微熱とリンパ腺の腫れ」
- 第2話「何かが違う、おかしい」
- 第3話「悪性腫瘍の細胞が検出」
- 第4話「告知に次々と埋まる予定」
- 第5話「経営者のがん」
- 第6話「がん研有明病院へ」
- 第7話「ステージ4」
- 第8話「声か、命か」
- 第9話「取引先、金融機関、社員への説明」
- 第10話「CCRT化学療法併用放射線治療」
- 第11話「5分5分でわかりません」
- 第12話「顔面神経、舌下神経、副神経のリスク」
- 第13話「手術と病理検査」
- 第14話「戻らない体力と筋力」
- 第15話「中身の濃い5年間」
第14話「戻らない体力と筋力」
2010年に中咽頭がん(ステージ4、扁平上皮癌)を患い化学療法併用放射線治療CCRTを受け、3月24日に左首の組織を取り除く手術を受けた山梨県中巨摩郡昭和町在住の三枝幹弥さん(48歳、2011年当時42歳)は、活動性のがん組織はなかったと報告を受けた。
一度失った体力と筋力を取り戻すことは容易ではなかった。
なぜなら放射線治療により味覚を失いすべての食べ物を美味しくないと感じている今、15kgも減ってしまった体力を戻すことは簡単ではないのだ。
がんの治療を終えたが厳しい患者であることには違いない。
「向こう2年が勝負だ。このがんで再発が起こるのは殆どが2年以内らしいから…」
勉強熱心な三枝さんは、色んな医学情報を調べ、そこまで知っていた。
山梨県を流れる荒川の川べりを毎日2~3km歩いた。
とぼとぼ、とぼとぼ、と。
他にすることがないのと、体力を取り戻したい一心でまるで日課のように散歩した。
歩いていると色んなことを考える。
「こんな身体じゃ仕事に完全復帰なんてできやしない。一体どうやったらいいんだ…」
薄皮がむけるようにしか戻らない体力と筋力に焦りと悔しさが募る。
組織の長なのに責任がもてない…、来年、自分が元気でいる保証がないからだ。
これまでは常に先、先と考え、1年先、2年先のプロジェクトを打ち立てて経営してきた。
しかしいま、そんなことはできない。
2ヵ月、3ヵ月と過ぎ、徐々に職場に顔をだすようにした。
午前中の3時間だけとか、今日は調子がいいから午後2時まで会社にいようとか。
情けない自分に社員と周囲の人たちは明るく接してくれた。
一方、病気の方はというと毎月の経過観察で上京し検査結果を聞いた。
「大丈夫です。再発はしていません」その言葉を聞くたびに安心する。
しかし、おかしなもので「検査で問題なし」が半年、1年と続くたびに逆に不安になっていく。
勝ち続けると(=問題なしが続くと)、いつかそれが途絶えてしまうのではないかと考えるからだ。
2012年夏、ふと見た広告に東京マラソンのチャリティランナー(=寄付ランナー)募集をみた。
フルマラソンなんて走ったことがない。
翌年2013年2月の大会だから、「がんから2年」の直前となる。
荒川を歩いていると、フルの42.195kmは無理でも20kmくらいなら走れる気がする。
「もし、東京マラソンを走ったなんて言ったら、みんなビックリするんだろうな…」
家族にも内緒でチャリティランナーに応募した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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