【ストーリー】森島俊二さん 大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 サバイバー

S状結腸がん ステージ3a→ステージ4、肝転移 サバイバー 森島俊二さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】森島俊二さん 大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「36歳での健康診断」
  3. 第2話「便潜血検査陽性から大腸内視鏡検査」
  4. 第3話「グループ5に近いポリープ」
  5. 第4話「腹腔鏡によるS状結腸がん切除」
  6. 第5話「術後の補助化学療法と会社への復帰」
  7. 第6話「肝臓への転移」
  8. 第7話「中途半端なプロポーズ」
  9. 第8話「悪化してきた黄だん」
  10. 第9話「低い5年生存率。人は人。自分は自分」
  11. 第10話「人は人。自分は自分」
  12. 第11話「続くだるさと下痢」
  13. 第12話「荒波にもまれた10年」

第6話「肝臓への転移」

2006年の健康診断で便潜血・陽性、再検査・要にもかかわらず様子見をしていたら、翌年、大腸がん(S状結腸がん)が発覚し手術を受けた神奈川県海老名市在住の森島俊二さん(46歳、2008年当時38歳)は、手術後の抗がん剤治療を順調に終えた。

慌わただしかった9カ月だった。
2007年7月の内視鏡検査から始まり、その後の検査に告ぐ検査。
そして、腹腔鏡による手術、さらに抗がん剤「UFT」治療。
この期間、森島さんは仕事と治療を両立させて乗り切った。

病院は2007年の手術以降、毎月の経過観察に入った。
毎回の血液検査と半年ごとの超音波検査とCT画像検査。
すべての治療を終えてからは平穏な日常を取り戻していた。

しかし2009年6月、病院に検査結果を聞きに行ったとき担当医が真剣な顔をして言う。
「今回のCTの結果、肝臓に影が見つかりました。大きさは、3cm × 4cm。大腸がんの肝転移だと思います。まず抗がん剤治療をやりましょう」

「えっ…?」
ショックだったし驚いた。
勉強熱心な森島さんはこれまでいろんながん情報サイトを観て自分の病気と治療について学んできた。
肝転移については「ついに来たか…」という思いと「半年前は映っていなかったのに、わずか6ヶ月間でこんなことになるなんて」というショックな気持ち。
一方で、抗がん剤治療を勧められたことに意外な驚きがあった。
なぜなら情報サイトによると腫瘍が3個以内なら原則手術して切るとあったからだ。

意外そうな森島さんの反応をみた担当医は、どうするか決めてほしいと促した。
森島さんはセカンドオピニオンを聞きたいとして紹介状をお願いする。
2施設、がん研有明病院と国立がん研究センター中央病院

数日後、セカンドオピニオンで意見を聞くと両施設とも1ヵ所なら手術だと言う。
特に国立がん研究センター中央病院は、まず腫瘍内科に行ったら「これなら切って取った方がいい」ときっぱり言われ、直ぐに肝胆膵外科の医師を紹介され、その日に診察された。
とても手際がいいのだ。
そして「1つだし、これくらいのサイズならすぐに取った方がいい」と外科医が勢いがよく助言し「(うちで手術を受けるか)どうしますか?」と聞かれたのでお願いした。即決だった。

森島さんの自宅からこの病院までは1時間45分もかかるが、そうすることにした。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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