S状結腸がん ステージ3a→ステージ4、肝転移 サバイバー 森島俊二さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森島俊二さん 大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 サバイバー
- 第1話「36歳での健康診断」
- 第2話「便潜血検査陽性から大腸内視鏡検査」
- 第3話「グループ5に近いポリープ」
- 第4話「腹腔鏡によるS状結腸がん切除」
- 第5話「術後の補助化学療法と会社への復帰」
- 第6話「肝臓への転移」
- 第7話「中途半端なプロポーズ」
- 第8話「悪化してきた黄だん」
- 第9話「低い5年生存率。人は人。自分は自分」
- 第10話「人は人。自分は自分」
- 第11話「続くだるさと下痢」
- 第12話「荒波にもまれた10年」
第5話「術後の補助化学療法と会社への復帰」
2007年に内視鏡検査を受け、その後の病理検査でがんを告げられた神奈川県海老名市在住の森島俊二さん(46歳、2007年当時37歳)は、8月24日に腹腔鏡を用いた大腸がん(S状結腸がん)の手術を受けた。それから術後の補助化学療法が始まった。
森島さんは10月から会社に復帰した。
上司と産業医と森島さんの3人のミーティングがあり会社の復帰プログラムについて説明された。
それによると最初の1カ月間は朝8時から午後3時までの時短勤務。
通常は8:00~17:00の就業だ。
そして2ヶ月目からは、8:00~16:00.3ヵ月目からは通常と同じになる。
時短勤務でも給料は減額されない有り難い制度だが、会社で導入されていたフレックスタイム制度を最初の2ヶ月間使えない。
補助化学療法が始まっていたため、その日の体調に波がある森島さんにとっては時短で嬉しいと言うよりむしろフレックスを使えないことがつらかった。
抗がん剤「UFT」の副作用で、だるさと倦怠感を感じていた。
手術で入院していたとき担当医から「完全に(悪い所は)切り取ったから、もう身体の中には“がん”はないですよ」と言われ安心した。
抗がん剤治療も6カ月間で終わるので治療のゴールも見えている。
その一方で、森島さんはインターネット上にあるがん患者のブログをよく読んだ。
中には本人が他界したと家族が締めくくってあるものや、体調が悪化したと書かれたところで更新が途絶えてしまっているブログも数多くあった。
だからだんだん読む気がしなくなった。
インターネットで調べると森島さんの大腸がんと進行ステージ(3a)の5年生存率があった。
それによると完治が7割、残りの3割は再発、或いは転移とある。
そのことを自分に置き換えて考え「俺の場合、半々かな…」そんな気がした。
静かな気持ちで無機質の数字をながめた。
自分の場合がんと闘うという感覚ではない。
気をつけよう…、そう思って数字をながめた。
そんな森島さんに両親はいつも通り普通に接してくれた。
特別扱いせず「がんになる前と同じ」に接してくれたのが嬉しかった。
やがて半年が経ち2008年4月。抗がん剤治療は、すべて無事に終了した。
次のページを読む >> 第6話「肝臓への転移」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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