慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
- 第1話「献血ルームでの予備問診」
- 第2話「白血球の数と腰の痛み」
- 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
- 第4話「血液検査結果報告書」
- 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
- 第6話「骨髄穿刺」
- 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
- 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
- 第9話「誰かのヒーローに」
第6話「骨髄穿刺」
胃の痛みから訪れた近所のかかりつけ病院で血液検査を受けたところ慢性骨髄性白血病の疑いを告げられた福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2014年当時38歳)は、紹介先の九州病院で同じことを言われ、年が明けたら最初の日に病院に来るように言われた。
2015年1月5日
藤田さんは九州病院・血液内科の待合室にいた。
“骨髄穿刺(こつずいせんし)”を受けるためだった。
これは腰椎に注射針を刺しなかの骨髄を抜き取る検査だ。
藤田さんがこれまで受けてきた注射は常にシリンダを押して薬を入れる注射だったが、今回は骨に注射針を刺して骨髄を抜き取る注射だった。
失神するかと思うほど気持ちの悪いものだった。
それから2週間後に検査結果が出た。
担当医から「慢性骨髄性白血病の慢性期(C.P)でまちがいないです」そう伝えられた。
“疑い”から“確定”になった瞬間だ。
ただ直ぐに悪くなるものではないので入院するタイミングは藤田さんが決めていいという。
さらに「スプリセル(分子標的薬)」は点滴で身体に入れる抗がん剤ではなく、口から飲み込む錠剤の薬と説明された。
いろんなことが藤田さんの持つがん治療のイメージと違っている。
これを受けて会社の上司である課長に報告すると「部長に報告しよう」と言われ、さらに上の上司と一緒に二人に説明した。
それからは仕事の引継ぎの段取りがなされ入院はかなり先の3月3日と決まる。
一方これまで病気のことを伏せていた母親にも伝えることにした。
藤田さんと母親は会えばたいてい口げんかするような近い仲で、この日も奥さんを入れて3人で外食していたとき、やはり口論になった。
その場の勢いから「俺の病気のことを知ったら、そんなこと言えないよ!」と言い返し、そんな形で“がん”の事実を伝えることになった。
それ以来母親からは「こんな身体に産んでごめんね」と藤田さんのがんの責任は自分にあるかのように言っていた。
母親が不憫(ふびん)で仕方がなくなる。
そして迎えた入院の日、2015年3月3日。
血液がん病棟に入るとその独特の雰囲気から自身ががん患者であると痛感する。治療中の患者の感染を予防するため一切の窓は閉められたままだった。
悪性リンパ腫の患者、他の白血病の患者、自分もみんなの中に入っていった。
次のページを読む >> 第7話「仕事への復帰と治療の継続」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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