【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)

慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
  2. 第1話「献血ルームでの予備問診」
  3. 第2話「白血球の数と腰の痛み」
  4. 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
  5. 第4話「血液検査結果報告書」
  6. 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
  7. 第6話「骨髄穿刺」
  8. 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
  9. 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
  10. 第9話「誰かのヒーローに」

第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」

2014年の献血ルームでの予備問診がきっかけで慢性骨髄性白血病とわかった福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2015年当時39歳)は、分子標的薬「スプリセル」によりがんの進行を抑え、普通に生活できるまでになっていた。しかし、周囲には自分ががん患者でるとは打ち明けられずにいた。

藤田さんはがん患者が書いている闘病ブログをよく読んだ。
一説に慢性骨髄性白血病は10万人に1人という珍しいがんと言われ情報が少ない。だからブログを観て参考情報を得ていたのだが、どのブログも仮名で書かれていていま一つ情報の信ぴょう性が疑われた。

一方で共感する部分も多くあり「恵まれたがん」という表現には確かにそうかもしれないと感じた。
抗がん剤は点滴で投与するのではなくて飲む錠剤で、髪の毛は抜けない、食事制限もないし、何より薬でがんの進行を抑えられている限りすぐに命が危ないという訳ではない。

だから逆に健常者たちから「がん患者」と理解されないのがつらくもあった。
なかなか心を整理できず、気持ち的に暗くも明るくもない毎日が過ぎてゆく。

2016年3月。
がん治療を始めて1年が経ったころ、愛車のオートバイBMW R100RS(1000cc)に乗って、八幡東区にある河内貯水池に行った。
気分転換をしたかったのだ。

そこでバイクを止めて遠くを見ていると自転車をこいでくる一人の男の人に目が行った。
だんだん近づいてくるその人の顔を見ると幼なじみの河口純一君だった。

ビックリして声をかけると彼も驚いている。
15年ぶりの再会だった。

すぐに打ち解け話しがはずみ、河口君の方から中学卒業以来集まっていない同窓会をやろうよと誘われる。幹事を一緒にやってほしいとのことだった。

自分の身体のこともあり気が進まないので断るのだが、強く誘われる。
余りに熱心に誘われるので、つい言ってしまった。

「俺、実は“がん”なんだ…」

一瞬の静寂(せいじゃく)のあと、河口君からいろいろ質問されるので詳しく説明した。

「あーあ、ついに言ってしまった」

隠し続けてきた“がん”を明かしたことで「しまった」という気持ちが半分、「ほっとした」気持ちが半分、何とも言えない不思議な感じだった。

結局、2017年1月2日に行う中学同窓会の役員をすることになりそのためのFacebook非公開グループの中でも「自分ががんを患っている」事実を明かす。
意外にも多くの仲間たちからコメントを返され、想像していたような腫れ物に触るような扱いはなく昔と変わらずに接してくれた。

それが嬉しくて藤田さんの気持ちはますます軽くなっていった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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