【インタビュー】慢性骨髄性白血病(CML) 藤田誠二 さん

慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんへのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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目次

基本情報

名前: 藤田誠二さん
年代: 40代、男性
病名: 慢性骨髄性白血病(CML)
進行: 慢性期
発症: 2014年 12月(38歳)
治療: 分子標的薬(スプリセル)による投薬治療
期間: 2015年3月~2016年12月(現在も継続中)
合併症:無し
職業: 技術職
生命保険: 入院保険/がん保険(東京海上日動あんしん生命保険)

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腰の痛みを感じているのに病院には行かれませんでした。この頃どんなお気持ちでしたか?

腰以外は特に身体不調も感じることがありませんでした。一方、血液検査結果で白血球の数値が高かったため、もしかすると白血病ではなかろうかと半信半疑になりました。もし病院に行って本当に白血病だと診断される事が怖かったです。
当時仕事が忙しかった事もあり、時間が経つにつれいつの間にかその不安も忘れ出していました。

インターネット検索して白血病を見つけた時のお気持ちは、いかがでしたか?

白血病の可能性があることを強く感じたと同時に、もしこの病気だったとしたらこれから先どうやって生きて行けばよいのだろうという強い不安を感じました。一方、それまで「何の病気なんだろうか?」ともやもやとした不安を抱えて生きていたため、答えはこれなのかもしれないと感じ安ど感の様な物が同時に込上げてきました。

献血ルームで医師から病院に行くように勧められても行かなかった理由は何ですか?

押し潰されそうな不安の中で過ごしていたため、病院に行って診断結果を聞く覚悟ができていませんでした。

不安に思いつつも、普通に会社に行き、普通に仕事をしていた頃の状況について教えてください。

正直あまり覚えていません。でもふとした時に本当に白血病だったらどうしよう、どうなるのだろうかと考えていたはずです。妻には余計な心配を掛けたくない為、ひたすら孤独にその不安と闘い耐えていました。

かかりつけ医から慢性骨髄性白血病の疑いを告げられた時のお気持ちを教えてください。

「ああ、やはりそうだったか」そんな心境です。

がんの疑いがあるにもかかわらず、いったん自宅に戻り年末年始を迎えられた時の心境は、いかがでしたか?

以下の二つです。
「人生後悔しない様に生きて行こう!」
「もうこの先見えない不安で悩む事が無くなったから何でも臆する事なく出来るはずだ!」

がんの事実を母親に伝えた時の状況を教えてください。

口けんかが発端でこの話しになってしまったことを今でも悔やんでいます。もう少し素直な気持ちで、病気の告白に持っていければよかったと反省しています。
「もしかしたら親より先に死ぬのかもしれない」と思って申し訳ない気持ちで一杯でした。
あの日、あの時、人目を気にせず泣き続ける母と妻に対してかける言葉が無かったです。

がん患者になり会社とのコミュニケーションで苦労されたことは、何ですか?

がん罹患前後でも外見的にそれまでと変わらない為、自分から「がん患者」だと告白するまでは他のがんも含め「がん」の話しを避けていました。
白血病は聞いた事はあるのでしょうけど詳しいことまではよく理解されていないため、大変な「がん」だと気付いてもらえなかったり、血液の病気という事で人にうつるのではないかと誤解されそうだったので、なかなか本音で話す事ができませんでした。

がん患者になってから心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

最初は立派な言葉を信じ、無理やり人生は素晴らしいものだとかを思い込みキレイに生きようと無理をしていました。でも最終的には自分らしく、人間らしく泥臭く生きようと決心しました。
また、いつもと変わらないルーティンワークをただひたすらこなしていく事に努めました。

これ以上ストレスを増やしたくないので苦手な人との関わりを出来るだけ避けたり、今まで厳しかった自分に少しだけ甘く接してあげようと思いました。
考えても仕方がないことを考え過ぎると疲れてしまうので最終的にはなる様にしかならないと覚悟を決めて生活するようになりました。

がん患者であることを周囲に隠していた頃の心境について教えてください。

振り返ると健康な人達を妬んでいました。
つまり、どうして自分がこんな事になってしまったんだろうという気持ちでした。
また、どうして自分だけがこんな思いをしないといけないんだろうか、もう誰とも会いたくないし誰とも話したくないし、二度と笑う事が出来ないのではないかとすら感じていました。

幼なじみに自分が“がん”であることを伝えたのはなぜですか?

誰かにこの事を伝えることで「人をうらやむ気持ち」を乗り越えたかったんです。そうでないと、この先ずっと生きながら死んでいってしまうと思った自分ががんであることを伝えました。
いま思えばあのタイミングであの状況で友人に伝えていなかったら自分の人生はもう誰にも心が開けない取り返しのつかない事になっていたのではと感じています。
そういう意味であの出会いはとても感謝しています。

がん患者にとって仕事とは?会社とは?何でしょうか?

仕事は医療費を捻出する為に必要な事です。一方、社会の一員である事を確認する場所だと感じています。
※基本的にがんになる前となった後で意味が変わる事はないです。

会社は、社会の一員であるという事を常に感じさせ、責任を与えてくれる存在です。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】
生きる力、自分が変わる勇気、覚悟、本当に大事にしたいと思った人や物や事。

【失ったもの】
色々考えていてその時々でたくさんあった様な気がするけれど「結局失ったものは何一つ無かった」と最近気づきました。

大切にしている言葉

継続は力なり

現在治療中の方々に伝えたいこと

「あなたは一人では無いです」

自分の病気をもっと知って欲しいです。それは頭でっかちな知識やどこかで聞いた話や顔も見えない人達とのつながりでは無くて自分の周りにしか答えは無いという事です。
「あきらめないでつづけること」の大切さです。信じた道を振り返らずに進む事、死を感じたからこそ知ったいま生きている事のありがたさを知る事です。

いま、やられていること、今後、やろうとされていること。

  • やっている事:自分が作った自分にしか作れない最高の洋服を他人に着てもらうことです。
  • 今後やろうとしている事:自分や他の人達が心を休める事が出来る場所を作りたいのとがんに対する社会の偏見を減らす為に講演や普及活動があれば積極的に参加したいです。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 自暴自棄にならない
  2. がんだからと言って他人が優しく接してくれると思わない(必要以上に他人に期待しない事)
  3. 病気を言い訳にして今まで出来ていた(やれていた)事を人任せにしない

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 自分の気持ちに正直になる事 (他人に対しても、自分に対しても)
    ※具体的には病気に関して思った事を隠すことなく伝える。(きついとか痛いとか手伝って欲しいとか)
  2. 信頼出来る仲間を見つける事 (実際に会う事が出来る人)
  3. 日常通り過ごす事 (病気の前と後が違うという事は考え過ぎだという事)

当時参考にした本

※がん関連の本に全く興味が無かったので今まで読んできた本を再読したが特に読んだ本は以下です。
『スティーブジョブズⅠ,Ⅱ』

最後に…

がん患者であっても普通の人間であることを忘れないでください。
例えば、がん患者でも普通に風邪もひくし体調も崩す、他の人と何ら変わらないという事。
自分自身を特別視せず、病気になった事を生まれた意味とかに結び付けないでください。
大切なのは今までと変わらず普通に暮らす事だと思います。
ささいな心配をおおきな心配に勝手にかえないでください。
インターネットの情報は参考程度にとどめておいて全て信用しないでください。

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取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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