【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)

慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
  2. 第1話「献血ルームでの予備問診」
  3. 第2話「白血球の数と腰の痛み」
  4. 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
  5. 第4話「血液検査結果報告書」
  6. 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
  7. 第6話「骨髄穿刺」
  8. 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
  9. 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
  10. 第9話「誰かのヒーローに」

第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」

2014年11月、仕事中に腰の痛みを感じた福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2014年当時38歳)は、多少不安に感じつつも痛みは我慢できるので普通に生活していた。

12月のある日、妻の淑美さんが「12月だから献血できるんじゃないの?」そう言った。
献血は1年に最高3回(400ml/1回)まで、しかも1回毎の期間を3ヶ月以上空けなくてはならないというルールがあった。
社会貢献が楽しみの一つの藤田さんは淑美さんと一緒に北九州市八幡西区黒崎にある献血ルームを訪れた。

12月23日。
いつも通り事前に採血して予備問診を受け、待合室で待っていると呼ばれた。
しかし、いつもは献血する部屋に呼ばれるのに、この日は医師がいる部屋に呼び戻された。
「おかしいな…」と思いつつも部屋に入ると少し前に予備問診で会話したその医師が、こわばった表情で座っていた。そしてこう言う。

「血液の数値に異常がみられるから出来る限り早く病院へ行って検査を受けてください」

何がおかしいんですか?どれくらいおかしいんですか?
わからないので繰り返し質問するが、具体的なことは言えないという。

なぜならその先生は医師だけど、「この献血ルームでは診療行為をできないので具体的なことは一切言えない」という。
その真剣な表情から恐ろしい感じがした。
「もしかすると、また白血球の数値なのかな…?」
結局この日は献血できずに終わる。

そのことを淑美さんに伝えたが、あまり心配しすぎないようにといつもの優しい言葉をかけられた。
気持ちがモヤモヤし始めた藤田さんだったが、結局病院へは行かなかった。
「事実」を知るのが怖かったからだ。

それからも普通に会社に行き、普通に生活していた。

ただインターネットサイトや医学書を読んでこれまで起こったことを確認し調べるのだが、調べれば調べるほど不安感は大きくなっていく。相変わらず、だるいしかゆいし腰は痛い。
どれも悪化してはいないが、治っていく兆しはない。

やがて胃が痛くなり近所のかかりつけ病院へ行った。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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