慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
- 第1話「献血ルームでの予備問診」
- 第2話「白血球の数と腰の痛み」
- 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
- 第4話「血液検査結果報告書」
- 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
- 第6話「骨髄穿刺」
- 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
- 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
- 第9話「誰かのヒーローに」
第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
2014年12月に献血ルームに行ったとき医師から血液データがおかしいから病院に行くように勧められた福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2014年当時38歳)は、その後に胃の痛みから近所のかかりつけ病院に行った。そしてついでに血液検査をしてもらったところ慢性骨髄性白血病の疑いを告げられる。
やっぱり…。
藤田さんはそう感じた。
ただこのとき意外にも「安心した」自分がいた。
これまで心がモヤモヤして事実が解らないことを気にしていたが、具体的な病名を言われてかえって安心したのだ。
「九州病院の血液内科を予約してあります。今すぐに行ってください」
かつてその病院で勤務していたその医師は親切にも予約してくれていた。
「先生、病院に行くのは昼からでもいいですか?」
“ブラスト値”についてまず理解したかった藤田さんは時間を稼いだ。
九州病院で専門の医師と話す前にきちんとした予備知識が欲しかったのだ。
そして調べれば調べるほど恐くなっていく。
2014年12月29日午後2時
九州病院に行くと、さっそく血液検査と点滴が行われる。ベッドの上で点滴を受けていると妻の淑美さんが駆けつけた。とても心配そうな顔をしている。
やがて医師がやってきて同じことを言う。
“慢性骨髄性白血病の疑い”
直ぐに入院すると思っていた藤田さんが医師に入院の手続きを聞くと「もう年末で病院も休みに入ります。とりあえず自宅に帰ってください。そして年が明けたら最初の日にまた来てください。この年末年始はどう過ごされても大丈夫です」そう言われて自宅に戻った。
それからの6日間、正直、どうやって過ごしたのか記憶がない。
年始に両家の実家に行き年初めの挨拶をしたはずだ。
だが何をしていたのかよく覚えていない。
「がんの疑い」があることは誰にも言わず、妻の淑美さんと二人だけの秘密にした。
なぜなら、まだ「疑い」でしかないのだから…。
まったく心が浮かない年末年始を過ごしていた。
次のページを読む >> 第6話「骨髄穿刺」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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