慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
- 第1話「献血ルームでの予備問診」
- 第2話「白血球の数と腰の痛み」
- 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
- 第4話「血液検査結果報告書」
- 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
- 第6話「骨髄穿刺」
- 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
- 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
- 第9話「誰かのヒーローに」
第1話「献血ルームでの予備問診」
「俺、実は…がんなんだ…」
北九州市八幡東区にある河内貯水池で15年ぶりに再会した幼なじみに打ち明けた。
もうこれ以上自分を隠したくない、そんな思いで明かした事実。
肩の荷が下りていく感じだった。
2014年9月、北九州市小倉北区にある献血ルームで予備問診を受けていた福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2014年当時38歳)は、医師から不思議なことを言われる。
「白血球の数が11.0(x10*3/μL)と少し高めですね(正常値:3.5~9.5(x10*3/μL))。でもまあこれくらいなら大丈夫でしょう。となりの部屋で献血をお願いします」
藤田さんは「白血球が高め…。なんだろう?」と感じた。
献血が楽しみの一つで時々行ってきたが、今までそんなこと言われたことが無かったからだ。
“白血球”
このとき幼少のころに感じた、漠然とした不安が頭をよぎった。
藤田さんは小学校4年生のころ女優・夏目雅子さんが白血病で他界したとき報道された連日のニュースを強く記憶している。
そして将来の自分に置き換えて「いつか自分もそうなったら怖いな…」そんな不安心理が少年の心の奥底に沈んでいた。
あれから29年。
忘れかけていた記憶が「白血球が少し多い」という献血ルームでのひと言でよみがえった。
でもなるべく気にしないようにして、普通に会社に行き、普通に生活していた。
藤田さんは巨大な製造装置であるプラント関係の会社に勤務していて、そこで工事責任者の仕事をしていた。終末もないほど忙しくつねに現場をまわっている。
2014年11月、この日も工事現場を回っていたが午前の休憩時間がやって来たので休憩室に入った。そして、その時、
“ズキン”
腰に痛みが走る。
「なんだろ…。これはいつもの痛みじゃない…」
嫌な予感がした。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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