乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「看護師の仕事」
- 第2話「左胸のしこり」
- 第3話「良性である可能性は低い」
- 第4話「乳がんと診断」
- 第5話「子供が産めなくなるリスク」
- 第6話「手術・抗がん剤治療」
- 第7話「抜けていく髪」
- 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
- 第9話「がんになっただけの人生ではなく」
第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
左胸の乳がん(浸潤性乳管がん、グレード2、ステージ2a、ER(-)、PgR(-)、HER2(3+)、リンパ節転移なし、壊死型石灰化(+))を患った徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(31歳、2013年当時26歳)は、外科手術(乳房切除術、腋窩リンパ節郭清術)、抗がん剤治療(EC療法(エピルビシン、シクロホスファミド))の後、次の抗がん剤(パクリタキセル)・分子標的薬(ハーセプチン)治療を受けていた。
自宅に引きこもっている間は完全に無気力状態だった。
このままじゃいけないと思うが自分でも何をしていいのかまったく解らない。
まるで将来に絶望しているような感覚だった。
そんな竹條さんを癒してくれたのがヨークシャーテリアの「コロ助」くん。
がん告知後まもなくして訪れたペットショップで一目惚れして我が家に招いた。
コロ助君が可愛くて仕方がない。
(入院準備中のじゃまをするコロ助)
少し安心することもあった。
一時止まっていた生理が半年後にまた戻ったのだ。
「(妊娠できる)可能性はゼロじゃなくなった」そう安堵する。
2013年4月パクリタキセルの投与がすべて終了、竹條さんは4クールすべてをやり遂げた。
「復職しなくちゃ…」そう思い病院に戻る。
ハーセプチンを投与する治療は続いているし心身まだまだの状態だったが、経済的にこのままではやっていけないとの判断から看護師の仕事を再開。
職場の理解もあり深夜の勤務は免除され日勤のみ週5日間。
体調はイマイチの上、体力・筋力も落ちていてブランクもある。
髪の毛がないからウィッグ(かつら)をかぶって頑張る。
(2013年5月 ウィッグです。顔がとってもむくんでいます)
仕事に戻ったことで感動するわけでもない、ホッと安心するというのでもない。
1日を乗り越えることに精一杯で疲労がたまり大変だった。
竹條さんは常に孤独を感じていた。
家族は優しい、職場の人たちも気遣ってくれる。
しかし若くてがんになり不妊のリスクを感じている独身者という同じ立場の人がいないから寂しさを感じていた。
それでも自分は前に進まなくてはならない。
「彼氏もいないのに、不妊の不安なんて口に出したらいけないんだ」
つらい想いを封じ込め、自分は取り敢えず生きることをがんばるとした。
2013年12月、髪の毛の量が戻ってきてウィッグを外す。
外見上のコンプレックスがなくなり、また少し気持ちが楽になった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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