【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー

    乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。

    このストーリーの目次

    1. 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
    2. 第1話「看護師の仕事」
    3. 第2話「左胸のしこり」
    4. 第3話「良性である可能性は低い」
    5. 第4話「乳がんと診断」
    6. 第5話「子供が産めなくなるリスク」
    7. 第6話「手術・抗がん剤治療」
    8. 第7話「抜けていく髪」
    9. 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
    10. 第9話「がんになっただけの人生ではなく」

    第4話「乳がんと診断」

    2012年9月、看護師として社会人2年目の徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(31歳、2012年当時25歳)は、左胸の乳がんと診断された。

    「あんたは(看護師の)仕事で(治療の後)よくなっている人、たくさん見てきとんやけん。しっかりせな」
    母親は泣きながら娘にそう言う。
    まるで自分に言い聞かせているかのように大きな声だった。

    深夜勤務明けにも関わらず診察で起きっぱなしだった竹條さんは、布団に入り寝た。
    その間 母親は出張中の夫(=父)、長男(=兄)、次女(=妹)に乳がんのことを伝え皆が驚く。
    それからの1週間、竹條さんは夏休みに入った。
    事前に予定していた夏休みだが、このタイミングで入っていたのは助かった。
    検査を受けられる。

    9月10日、造影剤を使うMRI検査。
    病棟のスタッフが患者を連れて検査室に来たのでとっさに隠れてしまった。
    9月12日、一通りの検査結果を踏まえ、主治医、そして外部の医師、母親の4人で話した。
    いわゆる「インフォームド・コンセント」だ。
    「検査の結果、非浸潤性の組織が検出されました。今後は手術する方向になります」
    看護師をしているから医師の説明はわかる。
    母親に同席をお願いしたのは、主治医から直接聞いてほしかったからだ。

    「何で、この子が乳がんなんですか…、まだ若いのに…」
    母親は心の嘆きを吐露していた。

    ここまでの検査を終え早期発見ではないが、遅いとも言えないと言われ、今後はさらに検査を進めるとして、がんの組織診(生検)を行うことになった。
    こうして2012年の夏休みは終わった。

    仕事に復帰すると別の副看護師長にも乳がんの事実を伝えた。
    その後、副看護師長からフロアの看護師たちに伝えられると「聞いたよ」「びっくりした」と涙ながらに話す同僚もいた。

    9月19日、主治医から組織診の結果が伝えられた。
    「非浸潤性の乳管がん、ホルモン剤は効果がない、HER2(3+)、がんの増殖度・高め」

    竹條さんは乳がんが既に遠隔転移してはいないかと心配になってきた。

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    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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