乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「看護師の仕事」
- 第2話「左胸のしこり」
- 第3話「良性である可能性は低い」
- 第4話「乳がんと診断」
- 第5話「子供が産めなくなるリスク」
- 第6話「手術・抗がん剤治療」
- 第7話「抜けていく髪」
- 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
- 第9話「がんになっただけの人生ではなく」
第7話「抜けていく髪」
左胸の乳がん(浸潤性乳管がん、グレード2、ステージ2a、ER(-)、PgR(-)、HER2(3+)、リンパ節転移なし、壊死型石灰化(+))を患った徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(31歳、2012年当時26歳)は、外科手術(乳房切除術、腋窩リンパ節郭清術)の後、抗がん剤治療(EC療法(エピルビシン、シクロホスファミド))を受けていた。
抗がん剤治療により髪の毛が抜け始めた。
元々ロングヘアーだったので、抗がん剤治療前に初めてボブカットにしていたが、髪が抜けるといっぱい抜けたように見える。
風呂場の隣にある脱衣所に自分の髪の毛がたくさん落ちていてそれを拾い集めるのがとても嫌だった。
外見が変わってきてがん患者らしい風貌の自分、それを鏡で見るのがつらい。
(抗がん剤前にヘアーカットに行きました)
(ついに脱毛が本格的になり、頭も頭皮が目立つようになりました。)
年が改まり2013年1月、次の抗がん剤(パクリタキセル)と分子標的薬(ハーセプチン)治療が始まる。
パクリタキセルは毎週1回点滴で投与し、3週間が経つと4週目を回復期に充てる4週間がかりの治療。その4週間を1クールとして合計4クール行うという。
ハーセプチンも点滴で投与するが初日に入れると次の20日間はそのままにする3週間を1クールとするもので、18クール約1年間行うという。
パクリタキセルの副作用により手先がしびれ、足の親指の爪がはげ体重が10kgも増える。
単調で心身厳しい抗がん剤治療の生活、竹條さんはやがて精神的に弱り出し引きこもりになっていく。
“若くしてがんになるなんてかわいそうに”と思われるのが嫌だった。
哀れみの目で見られるのは嫌だし「あの家の娘はがんだって」と噂されるのも嫌で自宅に引きこもって、睡眠導入剤と精神安定剤を服用する毎日だった。
(2013年よりパクリタキセル。眉毛とまつげがなくなりました)
治療前に主治医から説明された「不妊のリスク」がとても気になっていた。
だから詳しく聞きたくて専門医がいる病院を訪れた。
すると、その医師は過去のデータを淡々と語り出す。
「あなたのような状況の患者の約3分の1の人は生理が止まります。そして止まった人の約3分の1は、生理が戻らないという報告があります。生理が止まって半年たっても生理が戻ってこなかったら妊娠は諦めなさい」
無機質な数字を述べるだけの医師、感情とか愛情を感じられない。
後日、その施設で治療を受けている知人に緩和ケア看護師を紹介された。
医師の言葉で深く傷つき、また不妊に関するデリケートな内容だったのであまり気が進まなかったが、その看護師との面談に訪れた。
緩和ケア看護師なので解ってくれるだろうと思い、医師から辛い言葉を掛けられたとこぼした。
すると、彼女からこう聞かれる。
「それはそうとお付き合いしている彼氏はいるの?」
まだいないと答えると、彼女はクスッと笑って「じゃあ、(不妊の心配よりも)先ずはそっから(彼氏を作ること)だね」そう言った。
少しも可笑しくない話なのに意地悪そうに笑う看護師。
医療現場ってこんなものか…、その冷たい医師と看護師に失望した。
そして翌月、竹條さんは生理が止まる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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