【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー

乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
  2. 第1話「看護師の仕事」
  3. 第2話「左胸のしこり」
  4. 第3話「良性である可能性は低い」
  5. 第4話「乳がんと診断」
  6. 第5話「子供が産めなくなるリスク」
  7. 第6話「手術・抗がん剤治療」
  8. 第7話「抜けていく髪」
  9. 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
  10. 第9話「がんになっただけの人生ではなく」

第6話「手術・抗がん剤治療」

2012年、左胸の乳がんと診断された看護師の竹條うてなさん(31歳、2012年当時25歳、徳島県吉野川市在住)は、抗がん剤治療により不妊のリスクもあり得ると説明され動揺した。

抗がん剤の副作用により妊娠できなくなるリスクがある…。
医師からの説明に打ちのめされたような気持ちになった。

そんな時、父親が長期の出張から帰宅。
帰って来るなり竹條さんのもとに来て「やるしかないんだからな…」声を震わせてそう言った。
これまで滅多に泣いたことの無い父親が涙を浮かべていた。

2012年10月3日、東徳島医療センター、手術の日。
この日は両親と妹が駆けつけて午後からの手術となる。
オペ室に入り約1時間半の左乳房切除術と腋窩リンパ節郭清術
無事、手術が終わり気がつくと左脇が痛く、電気メスで皮膚が焼かれた嫌なにおいがした。

翌日、鏡で自分を見た。
ガーゼがついている状態で左胸がない。
それまでは胸を失うことにあまり抵抗がなかったが鏡で見て何とも寂しく感じた。
左腕が突っ張っていて痛くて動かせない。
自分が手術を受けたことを実感した。

その後は順調に回復。それでも腕を動かしづらいと言うと同僚の看護師が助けてくれて洗髪も手伝ってくれる。仲間たちの優しさが嬉しかった。

手術から11日後に退院。
そして10月18日、主治医との面談があった。
病理検査の結果報告と今後の治療予定の説明だ。
「浸潤性乳管がん、グレード2、ステージ2a、ER(-)、PgR(-)、HER2(3+)、リンパ節転移なし、壊死型石灰化(+)」
オペ前は非浸潤性と聞いていたが実際に切除して病理検査をしたら「浸潤性」だったという。

そしていよいよ始まった抗がん剤治療(EC療法(エピルビシンシクロホスファミド))。
初日に点滴で投与して3週間を1クールとする治療だ。
最初の5日間は入院した。
そして、このEC療法を合計4クール行う。
仕事でこの薬もよく見てきたから、特に怖い気持ちもなく臨んだが実際には堪えた。
とても気分が悪くなり5日間食事を食べられない。
そして13日目から、髪の毛が抜け始めた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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