乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「看護師の仕事」
- 第2話「左胸のしこり」
- 第3話「良性である可能性は低い」
- 第4話「乳がんと診断」
- 第5話「子供が産めなくなるリスク」
- 第6話「手術・抗がん剤治療」
- 第7話「抜けていく髪」
- 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
- 第9話「がんになっただけの人生ではなく」
第3話「良性である可能性は低い」
2012年9月、看護師として社会人2年目の徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(31歳、2012年当時25歳)は左胸にしこりを見つけ乳腺外科を受診した。
それからマンモグラフィー検査室に向かった。
顔見知りの30代の男性放射線技師が対応する。
患者が竹條さんとわかり「えー、君なん?自分が(=僕が)撮る?」逆に驚かれた。
知人の男性に撮影してもらうことは恥ずかしいし、抵抗がある。
でも、取り敢えず検査を終えて前に進みたかった。
マンモグラフィー検査は針生検よりもずっと痛かった。
画像検査が終わり待合室の椅子に座っていると名前が呼ばれる。
診察室に入ったが女性医師はいない。
パソコンの画面には患者「竹條うてな」と書いてあるマンモグラフィーの画像が映し出されている。
白く浮かび上がっているしこりの周囲が石灰化していて白い点が見える。
看護学生のころ教科書でみた典型的な「乳がん」のレントゲンの所見だ。
それを静かに観ていた。
数分後医師が戻りこう言う。
「良いもん(=良性)である可能性は低いです」
それを聞き激しく動揺している自分。
でも、職業・看護師の自分もどこかにいて「しっかりしなくちゃいけない」と振る舞う。
病理検査の結果は1週間くらいかかると説明されて造影剤を使ったMRI検査の予約が入る。
あとで今後の話をするのでしばらく処置室で待っているように指示された。
一人寂しく処置室にいると40代のベテラン看護師が気にかけて入ってきた。
彼女が肩に手を当てて「自分で見つけたんで?」そう声をかけたので、「うん」と返した瞬間、緊張感がほどけて“わぁっー”と泣けてきた。
本当は混乱している自分をさらけ出し思いっきり泣いた。
それから自宅に戻ると帰りが遅いと心配していた母親が出てきた。
前日の日勤と深夜勤務だから丸2日間の時が経っている。
がんになったことで申し訳ないという気持ちのなか「ただいま」と言うと「どうやった?」そう返される。
泣きながら乳がんだと伝えると母親は大泣きをしだす。
「代われるもんなら(私が)代わってあげたいよ!!」
2人とも涙が止まらなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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