【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー

乳がん ステージ2 サバイバー 竹條うてなさんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】竹條うてなさん 乳がん ステージ2 サバイバー
  2. 第1話「看護師の仕事」
  3. 第2話「左胸のしこり」
  4. 第3話「良性である可能性は低い」
  5. 第4話「乳がんと診断」
  6. 第5話「子供が産めなくなるリスク」
  7. 第6話「手術・抗がん剤治療」
  8. 第7話「抜けていく髪」
  9. 第8話「抗がん剤治療の修了~仕事の再開」
  10. 第9話「がんになっただけの人生ではなく」

第9話「がんになっただけの人生ではなく」

左胸の乳がん(浸潤性乳管がん、グレード2、ステージ2a、ER(-)、PgR(-)、HER2(3+)、リンパ節転移なし、壊死型石灰化(+))を患った徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(31歳、2013年当時26歳)は、外科手術(乳房切除術、腋窩リンパ節郭清術)、抗がん剤治療(EC療法(エピルビシンシクロホスファミド))の後、次の抗がん剤(パクリタキセル)・分子標的薬(ハーセプチン)治療を受けていた。

年が改まり2014年1月、最後の抗がん剤(ハーセプチン)治療が終了。
これにより全ての治療が終わった。
しかし竹條さんの場合、「死に対する恐怖」と言うより「不妊のリスク」から結婚・出産という幸せな未来を描きにくいというつらさがきつかった。
まるで将来の設計図を失くしたかのようだ。

更に厳しかったのはそのつらい気持ちを分かち合える人がいなくて一人で抱えたことだ。
ずっしりとした重しを心にかかえたような状態で時間が過ぎた。

2016年・春「あけぼの徳島若年性乳がんコミュニティ Sister」を立ち上げた。
乳がん患者会で徳島県にも支部があったがその中に若手の会を作った。
自分と同じ思いの人とつながりたい、出会いたいという気持ちからだった。
この年の11月には医師を呼びイベントを開催し12月から3人のおしゃべり会を開始。


(Sister立ち上げイベントの時に初めて取材)

そして翌2017年2月、名古屋市で渡邊知映氏を講師として招くセミナー(日総研主催)があると聞き参加。
竹條さんはその講義の内容にハッとする。

「子供が出来なくても、子供のいる家庭を作れる可能性はあります。自分が子供を産むことができないから子供のいる人と結婚したサバイバーもいます。養子をもらうのも1つの案です」
このとき自分に色んな選択肢があるのだと教えられ、心がパァッーと開けたような気持ちになった。

講義に続いて行われたロールプレイもよかった。
同世代の甲状腺がんの経験者、緩和ケア看護師、乳がん看護認定看護師と4人で組み、この人たちになら自分の気持ちをわかってくれそうだと思い自分の中に閉じ込めていた想いを吐露した。
それまで誰にも言えなかった辛い想いを明かし、泣いたらスッキリした。

「私はこれまで自分の殻に閉じこもり、自分で自分を苦しめていた。どうせ理解してもらえないだろうと勝手に決めて、伝えないから理解されない。話せば中には解ってくれる人もいるのに、自ら解ってもらう努力をしてこなかった。これからは心を開いて伝えていきたい…」
そんな心境になり一皮むけた感じだった。

このイベントをきっかけに竹條さんは積極的になる。

2017年5月、NHKの四国らしんばんという番組の中で自らの体験を実名・顔出しで語る。
使命感を感じて取材を引き受け、カメラの前で一生懸命に伝えた。


(こちらは2017年 ラジオの収録時の様子)

「ただ単に、がんになっただけの人生にはなりたくない」

その後、自らが運営する「あけぼの徳島若年性乳がんコミュニティ Sister」に主治医を招いた。
医師としてではなく、一人の参加者としてきてもらった。
ビアガーデンで開いた患者会。
それまで距離があった主治医との関係がぐっと近くなり垣根が取れたかのようになる。
医師と患者という関係でなく、医師と看護師でもない、人としての付き合いが実現した時だった。

この年は日本舞踊の舞台にも出た。
3歳から習い始めた日本舞踊、いつも人前に出るのが苦手で舞台は避けてきたが、その舞台に立った。
今年(2018年)は12月に徳島市にある「あわぎんホール」で舞う予定だ。

一時は心配させてしまった母親とよく旅行している。
大分県の由布院温泉別府温泉、兵庫県の有馬温泉、母娘の一泊温泉旅行が楽しみで出かけている。

婚活もがんばっている。
あの名古屋のイベントの後、Sisterで知り合った友人たち2人と毎月2~3回イベントに参加している。
街コン、婚活パーティー、合コン

成果が無くてもみんなと一緒に出掛けるのは楽しい。
乳がんから6年、あの時から家族になった「コロ助」君も6歳、かつて引きこもりだったことが嘘のように積極的になっている竹條さんだ。

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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