【ストーリー】斉藤礼子さん 子宮体がん ステージ1 サバイバー

子宮体がん ステージ1b サバイバー 斉藤礼子さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】斉藤礼子さん 子宮体がん ステージ1 サバイバー
  2. 第1話「不正出血」
  3. 第2話「止まらない出血」
  4. 第3話「別のクリニックへ」
  5. 第4話「子宮体がんの診断」
  6. 第5話「腹腔鏡による手術」
  7. 第6話「抗がん剤治療は見送りに」
  8. 第7話「幸せな"普通の当たり前の生活”」

第2話「止まらない出血」

神奈川県横浜市在住の斉藤礼子さん(50代)は、2016年の年明け頃から不正出血が始まり、夏に近所の産婦人科クリニックで子宮頸がん・子宮体がんの検査を受けた。

斉藤さんは大学卒業後、大手機械メーカーに就職すると秘書室に配属された。
そこで4年、OLとしてキャリアを積み社会人としての基礎を身につける。

1992年、30歳になる年、お付き合いしていた男性と結婚。
大学時代の知人で、横浜博覧会の頃に交際が始まったが4年がかりのお付き合いの末、結婚となった。
ザ コンチネンタル横浜で行われた結婚披露宴は、親族・友人ら80人に祝福され盛大に行われた。

その後、ご縁があって結婚式場での司会を務めることになる。
これまで司会業を学ぶ学校に通ったわけでもなかったが、当日アドリブでやったらうまくいった。
それからは自然と上達し、月に5本も司会をこなすまでになる。

子育て、家事、司会業と忙しい毎日を送っていたが、40代半ばの頃、横浜市から送られてきた「がん検診」の案内に目が留まった。

斉藤さんは昔から病院嫌いだったが「1回ぐらいは受けよう」と思い、子宮頸がんの検診を受けた。

それ以来8年、がん検診を受けてこなかったが、2016年に不正出血が始まり、いま、産婦人科クリニックで「子宮頸がん」「子宮体がん」の検査を受けた。

この頃は、まだ、夫も母親も、そして斉藤さん自身もあまり心配してはいなかった。

検査から2週間後、例のクリニックに行くと、初老の医師は検査結果について何も伝えず「その後、出血はどうですか?」そう聞く。

相変わらず続いていると答えると、トラネキサム酸が処方され、しばらく様子を見ることになる。
“たぶん、問題ないから(検査結果を)伝えないのだろう…”
良いほうに解釈して、自分から検査結果について確認することはしなかった。

それから、9月、10月と時間が経つが、出血が毎日続く。
止血剤やホルモン注射など処置が施されたが、常にナプキンをしていないと下着が汚れてしまわないかと不安なほどだった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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