【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー

子宮頸がん ステージ2 サバイバー 黒田奈美さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー
  2. 第1話「手に職を」
  3. 第2話「就職・結婚・出産」
  4. 第3話「シングルマザー」
  5. 第4話「母の肺がん ステージ4」
  6. 第5話「続く不正出血」
  7. 第6話「医師への不信感」
  8. 第7話「子宮頸がん ステージ1B2」
  9. 第8話「広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検」
  10. 第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
  11. 第10話「精神的な限界近く」
  12. 第11話「再就職と抗がん剤治療(TC療法)」
  13. 第12話「母との別れ」
  14. 第13話「続く試練」
  15. 第14話「なんとか乗り越えた」
  16. 第15話「看護師という目標へ」

第4話「母の肺がん ステージ4」

2011年に調停離婚が成立し、1歳の娘を持つシングルマザーとなった埼玉県所沢市在住の黒田奈美さん(34歳、2011年当時28歳)は、生活の基盤を築くために一生懸命働いていた。一方、母親の体調がイマイチで、病院で検査を受けていた。

黒田さんには兄と姉がいる。兄は水泳のインストラクターとして福岡に住んでいて、看護師をしている姉は横浜に、それぞれ家庭をもっている。
妹の黒田さんからみて自慢の兄姉だ。
ただ、2人とも遠方に住んでいるので、母親の病院検査には黒田さんが付き添っていた。

検査結果を聞くまでの1週間、母親の容態が悪化し、救急で病院に運び込まれそのまま入院となる。
西埼玉中央病院は、姉の以前の職場だったこともあり、長女として姉は母親の状況を確認した。
この日、実家に帰り父親と黒田さんの2人に姉はつらい報告をする。
「お母さん、肺腺がん(肺がん)なの…」
深刻であることを知り、2人に動揺が走った。

翌日、病室には母親、姉、黒田さんの女性3人がいた。
医師から検査結果の説明があると言われ、3人は個室に呼ばれる。
狭い会議室に主治医と看護師、合わせて5人。
医師は淡々と説明を始めた。
「肺腺がん(肺がん)です。かなり進行していて、ステージ4の状態です」
末期のがんだということだった。

母親がか細い声で「余命は、どれくらいありますか…」そう聞くと、担当した医師から「半年です」そう言う答えが返された。
病室に戻った3人は涙が止まらず、3人で抱き合い、がんばろうと励ます。
これまで、就職や離婚で母親に苦労を掛けてきたと感じ自分を責めてしまう黒田さんは、
「お母さん、ゴメンね…。(お母さんが、がんになったのは)私のせいかもしれない…」そう謝った。
絶対に違うと言いたい母親は、首を横に振り泣きながら否定した。

その後、東京病院に移り、更に詳しい検査を受けると同時に、胸水を抜く処置を受ける。
弱気になった母親は、余命半年もないのではないかとこぼし出す。
そして、抗がん剤(シスプラチン、アリムタ)治療が通院で始まった。

しばらくすると、驚いたことに、がんの影は小さくなっていく。抗がん剤の効果だった。
ただ、副作用が強く現れ、治療に対し前向きな気持ちになれない。
その後、薬を「イレッサ」に替えて、3ヶ月間治療を受けていたが、これも副作用が強く出て、母親は途中から病院に通うのをやめてしまった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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