子宮頸がん ステージ2 サバイバー 黒田奈美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「手に職を」
- 第2話「就職・結婚・出産」
- 第3話「シングルマザー」
- 第4話「母の肺がん ステージ4」
- 第5話「続く不正出血」
- 第6話「医師への不信感」
- 第7話「子宮頸がん ステージ1B2」
- 第8話「広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検」
- 第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
- 第10話「精神的な限界近く」
- 第11話「再就職と抗がん剤治療(TC療法)」
- 第12話「母との別れ」
- 第13話「続く試練」
- 第14話「なんとか乗り越えた」
- 第15話「看護師という目標へ」
第2話「就職・結婚・出産」
看護師になることを母親から勧められていた埼玉県所沢市在住の黒田奈美さん(34歳、2004年当時20歳)は、エステティシャンの資格を取り、インストラクターとして滝川株式会社に就職した。
生徒を指導するインストラクターという立場になり、社会人としての自覚が芽生えた。
親元を離れ一人暮らしをはじめ、毎日一生懸命に働いた。
ただ…、日が経つにつれて美容の世界の奥深さを知り、自身の限界を感じる。
なぜなら、黒田さんは卒業と同時にインストラクターになったため実務経験がない。
生徒の中には現場で働いた後、入学する年配者もいるため、知識を実践で生かしていない黒田さんは、教えることの難しさを感じていた。
上司と相談すると「その気持ちも解かるわ」と言われ、結局、2年間務めたあと2006年3月末で退職。
再び、人生の壁にぶつかったが、エステティシャンとインストラクターという2つの民間資格が手に入り、今度は自信をもって就職活動に臨めた。
この年(2006年)の秋に、ブライダルの貸衣裳業を行っている会社のブライダル・エステ部門に就職。
結婚式という花嫁のはれの日に、美容と言う面からベストな状態になってもらうお手伝いの仕事。
とてもやりがいを感じた。
一人暮らしの後、一旦、実家に戻っていた黒田さんには、お付き合いをしている彼氏がいた。
2人で相談し、2007年冬から一緒に暮らしだし、翌年(2008年)の5月に“おめでた”がわかる。
彼氏から「結婚だね」と言われ、それぞれの両親に報告し、結婚の了解を得た。
赤ちゃんが欲しかった黒田さんは、幸せな未来が待っていると夢を膨らませた。
2008年11月に結婚式を挙げ参列した130人から祝福される。
父親も、母親も、間もなく生まれてくる初孫が楽しみで仕方がない。
年が明けた2009年2月、産休に入り、3月、娘を出産。
「やっと、会えた…」黒田さんの幸せは最高潮になっていた。
しかし…、夫婦2人の間に喧嘩が増えていく。
娘が生まれ、ママになった黒田さんは、それまで夫に対し色んなことに我慢をしてきたが、娘のためにと主張するようになる。
子育ての方針で食い違い、母親のあるべき姿の考え方で食い違い、夫が黒田さんに課す制約の中で生きていくことに息苦しさを感じていた。
最初は口論、口喧嘩だったが、月日がたつにつれて激しい喧嘩となり、黒田さんは疲弊する。
心から笑うことのできない日々、生まれたばかりの赤ちゃんに謝る毎日。
ついに限界を超え、2010年10月、黒田さんは娘と実家に帰った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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