子宮頸がん ステージ2 サバイバー 黒田奈美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】黒田奈美さん 子宮頸がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「手に職を」
- 第2話「就職・結婚・出産」
- 第3話「シングルマザー」
- 第4話「母の肺がん ステージ4」
- 第5話「続く不正出血」
- 第6話「医師への不信感」
- 第7話「子宮頸がん ステージ1B2」
- 第8話「広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検」
- 第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
- 第10話「精神的な限界近く」
- 第11話「再就職と抗がん剤治療(TC療法)」
- 第12話「母との別れ」
- 第13話「続く試練」
- 第14話「なんとか乗り越えた」
- 第15話「看護師という目標へ」
第9話「強度変調放射線治療(IMRT)」
調停離婚が成立しシングルマザーとなった埼玉県所沢市在住の黒田奈美さん(34歳、2014年当時30歳)は、生活の基盤を築くために一生懸命働く一方、娘と肺腺がん(ステージ4)の母親の世話をしていた。2014年、自らも子宮頸がん(腺がん)を告げられ、手術(広汎子宮全摘手術+両側付属器摘出+リンパ節生検)を受けた結果、ステージ2が確定した。
退院して自宅に戻った黒田さんは忙しかった。
3月、ちょうど娘が保育園の年中から年長に進級するタイミングだったので、その準備に追われた。
「退院日が4月にずれ込まなくてよかった」保育園児の子供を持つ母親として安堵した。
一方、日々の生活は、手術の後遺症で悩ましかった。
なぜなら、子宮を切除した際、膀胱神経の一部を取らざるを得なかったからだ。
具体的な影響は、おしっこが膀胱に溜まっているのに尿意を催さないこと。
「排尿障害」として事前に説明を受けていたが不思議な感覚だった。
尿意がないから自己導尿により、一定時間ごとに排尿処理を行わなくてはならず、うっかりすると膀胱炎となる。
また、リンパ節郭清をしたことで、下半身が浮腫んでいた。
新年度になった2014年4月7日、黒田さんは放射線治療(IMRT、強度変調放射線治療)のため、国立がんセンター中央病院に入院。
いよいよ次の治療が始まった。
IMRTは、放射線を照射する前準備の段階が重要で、また、大変だった。
まず、膀胱に尿をためなくてはならない(畜尿)。
そして、毎日、大量の下剤を使い、大腸の中を空っぽにしなくてはならない。
この事前作業でヘトヘトになるが、その後、放射線を患部に当てる。
当てている時間は20分くらい、週に5日間、5週間の25照射が予定された。
最初の5日間、黒田さんは、畜尿、下剤で大腸空っぽ、IMRTと、毎日、くたくたになりながら頑張った。
心身共に限界を感じ、金曜日から外泊許可をとり2泊3日で自宅に戻ることにする。
電車で帰るのだが体調はイマイチで、東京・築地から埼玉・所沢にかえるまで途中で何回も下車して休み、また乗車と2時間半もかけ帰省した。
サプライズ外泊として誰にも伝えず実家に戻ったのだが「ただいまー」とできるだけ元気よく声を出すと、寂しさを我慢していた4歳の娘が大喜びし、駆け寄ってきて号泣した。
母親もホッとして力が抜けたという。
厳しい状況にある女性3人の親と子と孫が、幸せを感じるひと時だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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