子宮体がん(類内膜腺がん、頸部浸潤あり) ステージ2b サバイバー 谷口薫さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】谷口薫さん 子宮体がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「子宮頸がんのキャンペーン」
- 第2話「子宮頸がん検診へ」
- 第3話「子宮体がん再検査」
- 第4話「3回目の細胞診」
- 第5話「がん宣告」
- 第6話「医師とのコミュニケーション」
- 第7話「セカンドオピニオン」
- 第8話「再度のセカンドオピニオン」
- 第9話「医師との信頼関係」
- 第10話「子宮全摘出手術」
- 第11話「2度目の手術。後腹膜リンパ節郭清」
- 第12話「経過観察へ」
- 第13話「独り立ちしたビジネスウーマンに」
第5話「がん宣告」
2011年に総合病院で子宮体がんの検査を受けた神奈川県横浜市在住の谷口薫さん(51歳、2011年当時45歳)は、生検による再検査をされ、類内膜腺がんの疑いを告げられる。詳しい検査のために大学病院を訪れたら、検査よりも先に子宮を全摘する手術を予約しましょうと言われ、小喧嘩になった。
谷口さんは納得できない。
検査の順番を踏んでいないし、心の整理の順番も踏んでいない。
だいたい、今行った生検の検査結果が、まだでていないのに“子宮全摘の予約”。
医師と押し問答になり、取り敢えず次回の予約とCTとMRIの検査予約を取って終わった。
友人に相談すると、「(がんかどうか)自分が納得できるまで調べた方がいいよ」そう言われた。
一人息子が社会人になった谷口さんは、様々な役割と責任がありとても忙しかった。
派遣社員として週4日、自動車販売会社で働く傍ら、地域の役員、息子が卒業した学校後援会と野球部後援会に所属。
更に週3日、早朝に機関紙の新聞配達など、予定とスケジュールが詰まっていた。
だから1泊2日の検査入院ですら色々と調整しないとできない。
大学病院の医師と小喧嘩になってしまった日、母親に電話してことの次第を伝えた。
日赤病院で看護助手として定年まで働いた母親は楽天的だった。
次回の外来に一緒について来てくれるという。
9月28日、大学病院・婦人科。
名前を呼ばれたので母親と一緒に診察室に入り「(今日は)母親を連れてきました」というや否や、例の医師から、こう言われた。
「がん、出ましたよ!」
ここから、再び、谷口さんと男性医師の言い合いが始まってしまう。
“そんな、がん宣告ってあるの?”
感情的に受け入れられないし、思いやりに欠ける目の前の医師を心情的に受け入れられない。
「(子宮の)全摘手術、12月17日に組んでありますから」
事務的な説明で受け入れられない。
がんによる気持ちの落ち込みとか言うのではなく、無神経な医師に対する怒りで、再びカッカきてしまった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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