子宮体がん(類内膜腺がん、頸部浸潤あり) ステージ2b サバイバー 谷口薫さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】谷口薫さん 子宮体がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「子宮頸がんのキャンペーン」
- 第2話「子宮頸がん検診へ」
- 第3話「子宮体がん再検査」
- 第4話「3回目の細胞診」
- 第5話「がん宣告」
- 第6話「医師とのコミュニケーション」
- 第7話「セカンドオピニオン」
- 第8話「再度のセカンドオピニオン」
- 第9話「医師との信頼関係」
- 第10話「子宮全摘出手術」
- 第11話「2度目の手術。後腹膜リンパ節郭清」
- 第12話「経過観察へ」
- 第13話「独り立ちしたビジネスウーマンに」
第1話「子宮頸がんのキャンペーン」
「自分の状況が、わかっていないね。あんた早く手術しないと、死ぬよ」
セカンドオピニオンを聞きに行ったクリニックの医師にそう言われた。
もっと、つらい言葉を浴びせられた。
神奈川県横浜市在住の谷口薫さん(51歳、2005年当時39歳)は、高校卒業後、日立グループの会社に経理職として働いた。
その後、結婚、そして1993年に長男を出産と幸せな人生のイベントが続く。
働くことが好きな谷口さんは、息子が小学2年生になった2000年から週2日パートとして働き出す。
ただ、最初のころに就いたデータを入力する内勤の仕事よりも人とコミュニケーションがとれる仕事が良いとして転職。
2001年から大手テレマーケティングの会社で契約社員として仕事に就いた。
大規模コールセンター内で顧客企業の営業支援をする仕事で、例えば電話を使って法人企業に連絡し、求人広告の掲載を持ち掛ける業務がそれだ。
必要なスキルとしては、企業の担当者と話しながらブラインドタッチで会話を書きとる能力。
この仕事はコールセンターとかオペレーターとか呼ばず、「コミュニケーター」と呼ばれていた。
テレマーケティングの仕事を始めて4年目の2007年、谷口さんは、たまたま子宮頸がんのキャンペーンの広告を目にする。
当時、女性がんの早期発見の大切さについて啓蒙活動がされていた頃で、健康診断の大切さを意識する。
また、友人にも子宮頸がんの検診を受診した人が現れ、そろそろまた受けようかと思っていたとき横浜市に従業員が女性ばかりのクリニックができたと聞く。
医師も女性なので、女の人にとっては、婦人科に対する抵抗感が薄い病院だ。
谷口さんはさっそく訪れてみた。
検査の結果、子宮頸がんについては軽度異形成C判定で定期観察となった。同時に受診した乳がん検診は、エコー検査で胸に水が溜まっているとの所見だった。
ただ、この病院には(当時)詳しい検査を行う機器がないとして市内の国立病院を紹介される。
病院で胸の組織の生検とマンモグラフィーが行われ、問題なしとなり安心した。
一方、お気に入りのクリニックから、今後も定期的に子宮頸がんの検診を受けていきましょうと言われ、その後も子宮頸がん検診を受けることになる。
次のページを読む >> 第2話「子宮頸がん検診へ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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