すい臓がん(膵体部癌) ステージ4サバイバー 池田実さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】池田実さん すい臓がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「IT業界を経て会社設立へ」
- 第2話「胃腸の不快感」
- 第3話「唐突なすい臓がん告知」
- 第4話「入院~検査ずくめの日々」
- 第5話「余命3ヶ月」
- 第6話「医師が決断したオペ」
- 第7話「手術を終えて」
- 第8話「退院・帰宅」
- 第9話「死の受容と抗がん剤治療」
- 第10話「治療の終了へ」
- 第11話「復職。がんから2年。」
- 第12話「薬の力を借りながら」
- 第13話「5年を迎えて」
第6話「医師が決断したオペ」
2012年8月、千葉徳洲会病院で進行したすい臓がん(膵臓がん、ステージ4a)と言われた千葉県船橋市在住の池田実さん(73歳、2012年当時68歳)は、内科医から手術は難しいだろうと伝えられていた。しかし、外科を担当する高森医師はオペを決断した。
会社勤めをしていた40代のころ、池田さんは様々なスポーツを楽しんだ。
スキー、山登り、マラソン、テニス。
フルマラソンは、1992年のさいたまマラソン大会で自己ベストとなる3時間21分で完走している。
また、スキーに至っては指導者としてのライセンスを目指すくらいの腕前。
だから、健康にはかなりの自信があった。
しかし、68歳となった今、進行ステージ4aのすい臓がんという診断。
高森医師の説明では、この病気は進行スピードがとても速いという。
「手術するならできるだけ早く行った方がいい。時間とともにがんが進行してしまうことがある。当院でお任せいただけるなら、検査など迅速に行い、出来るだけ早く手術を予定させて頂きます。ですが、仮に手術を行い肉眼的に取り切れても、細胞レベルで遺残したり、再発するリスクは高く、手術そのもののリスクも高いということを認識して頂きたい」ということだった。
だが、池田さんは嬉しかった。
検査とこれまでの雰囲気から、ある程度「死」が身近にあることを意識していた。
でも、この日、手術ができると言われ、素直にうれしかった。
なにより目の前に力強く、やれることは何でもやるという医師がいた。
もしかして…、助かる可能性もあるのかな…、そんな気持ちになった瞬間だった。
それから…。
確かに早かった。
翌々日の9月6日、さっそく手術となる。
正にトップ・プライオリティー(第一優先)扱いされている感じがした。
術式の名称は、「遠位側膵切除(脾合併切除)、腹腔動脈幹、門脈合併切除」。
この日、オペは5時間かかった。
無事に手術が終了することを祈るような気持で願っていた妻のもとに主治医の高森医師がやってきた。
「奥さん、うまくいきましたよ。肉眼的にはすべて取り切れました」
切除した腫瘍を包み込んだ膵臓の断片を銀色のトレイの上に乗せて持ってきてみせた。
全部とれた、手術は成功したと大喜びする医師を見て、妻は安どする。
一方の池田さんは、手術後の回復室で看護師の呼びかけにより目を覚ます。
無事に終わったと言われ安心した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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