すい臓がん(膵体部癌) ステージ4サバイバー 池田実さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】池田実さん すい臓がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「IT業界を経て会社設立へ」
- 第2話「胃腸の不快感」
- 第3話「唐突なすい臓がん告知」
- 第4話「入院~検査ずくめの日々」
- 第5話「余命3ヶ月」
- 第6話「医師が決断したオペ」
- 第7話「手術を終えて」
- 第8話「退院・帰宅」
- 第9話「死の受容と抗がん剤治療」
- 第10話「治療の終了へ」
- 第11話「復職。がんから2年。」
- 第12話「薬の力を借りながら」
- 第13話「5年を迎えて」
第1話「IT業界を経て会社設立へ」
「腫瘍の周りにあるのは、手術で切除するのが難しい血管ばかりです。残念ですが、手術は出来ないと思います。(そうなると)もっても、あと、2~3ヵ月ではないでしょうか…」
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検査結果を診た内科医が、妻にそう言った。
余命3ヶ月を宣告されていた。
千葉県船橋市在住の池田実さん(73歳1966年当時23歳)は、大学を卒業すると大手電機メーカーのIT子会社に就職した。
エンジニアとして採用され35年、ビジネスマンとして一生懸命に働いてきた。
40歳半ばを過ぎてからは、開発現場から新技術導入部門の仕事に替わる。
新たな技術の導入や海外のITベンチャー企業の日本進出を支援する仕事だ。
この頃(1990年代)のアメリカのシリコンバレーを中心に、ベンチャー企業のIPO(株式公開)がブームとなり、お付き合いしている国外の会社の中からも大成功物語が誕生する。
目の前で展開されている“ITドリーム”、池田さんは自分も挑戦したくて仕方がなかった。
2001年59歳になった時。
60歳定年がいよいよ近づき、いてもたってもいられず退職。
ビリングシステム社に転職した。
ITベンチャー会社の一つで、今でいうFintech(フィンテック)の分野だ。
ただ、その会社は、当時はまだ池田さんのやりたいことができない状況だったので退職し、別のベンチャー企業に1年ほど在籍した後、2004年に何もない所から友人・知人と3人でゼロから独自のシステム開発を始めた。
24歳の日本人、27歳のフランス人、そしてこの年61歳になった池田さんの3人。
知人の会社の中の一角を借りて、セキュリティー関係のソフトウェアの開発に着手。
ITベンチャー成功物語を夢見て、積極的に打って出た。
3人とも大きな夢があった。
池田さんはリーダー格として指揮をとり、残り二人がシステム開発を手掛ける。
1年が経った2005年、ついに製品が完成。
退職してから4年後のことだった。
池田さんはさっそく法人登記手続きを済ませ、3人の共同出資で株式会社を設立。
株式の過半数を池田さんが保有。
メーカーなどの有形資産を持つビジネスではないので、原材料費がかからないし、在庫もない。
だから、なんとか、持ち堪えた1年間だった。
法人格を取得すると、渋谷のマンションの一室をオフィスとして借り、会社として本格的なスタートを切った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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