急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「忙しい毎日」
- 第2話「夜になると出る微熱」
- 第3話「眉間の奥のしびれ」
- 第4話「悪化する体調」
- 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
- 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
- 第7話「寛解を告げられて」
- 第8話「地固め療法」
- 第9話「骨髄の提供者」
- 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
- 第11話「合併症~退院へ」
- 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」
第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
2013年秋から微熱が出始め、その後、急速に体調が悪化していた神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2013年当時51歳)は、12月26日に横浜市立大学附属病院を受診して、急性骨髄性白血病を告げられた。
治療を受けなければ2週間の命と言われ、夫は泣き出し、高松さんは治療に腹をくくる。
その場に同席し一部始終を見ていた長男は、あまりの衝撃からか、だまって面談室を出ていった。
心配した医師は、追いかけて長男のフォローアップをしてくれた。
いよいよ、ここから、命を助けるための抗がん剤治療が始まることになる。
職場にメールして白血病と伝えると「病気に負けないでください」と温かいメッセージが返された。
さっそく、急性骨髄性白血病の治療をしたいところだったが、医師は右脚のふくらはぎにある“おでき”を重く見た。
「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」だという。
これは白血病の進行により白血球の数が少ないため、身体の抵抗力が減り、結果的にできた化膿性炎症だ。
もしいま抗がん剤治療を行い、骨髄芽球をたたくと、正常な白血球数がさらに減り、抵抗力が一層弱まる。
そうなると蜂窩織炎が悪化する恐れがあると説明された。
結論、まず抗生剤を投与して蜂窩織炎の治療をすることが優先となった。
白血病により最悪の体調にもかかわらず治療を始められないジレンマ、高松さんと家族は失望した。
しかも、時は12月の年末、この年は大晦日も元旦もなく、12月26日から1月1日まで病院で抗生剤の投与を続けることになる。
それまで、普通にあったかけがえのない日常が奪い取られた時だった。
年が明けて2014年1月2日、横浜市立大学附属病院。
蜂窩織炎は未だ完全には治っていなかったが、このままでは急性骨髄性白血病により命が危ないとして、医師は見切り発車的に抗がん剤治療(寛解導入療法)を開始する。
ダウノマイシンとAra-C(キロサイド)を7日間投与するもの。
頭痛、吐き気、下痢、うつ症状といった副作用がでたが、そもそもの白血病によるつらい症状の方がきついから、副作用をさほどきついとは思わなかったほどだ。
次のページを読む >> 第7話「寛解を告げられて」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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