【インタビュー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー

急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのインタビューです。

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目次

基本情報

名前: 高松珠代さん >>5yearsプロフィール
年代: 50代、女性
病名: 急性骨髄性白血病
発症年月: 2013年11月
発生時年齢:50歳
受けた治療: 【寛解導入療法】抗がん剤(ダウノマイシン、キロサイド)、【寛解後療法(地固め療法)】抗がん剤(ノバントロン、キロサイド、ダウノマイシン)、骨髄移植(造血幹細胞移植)、GVHD(移植片対宿主病)対策薬
治療期間: 8ヵ月間
合併症:肺水腫
職業: 非常勤講師
生命保険会社: 楽天生命保険株式会社

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2013年秋から、微熱が出始めますが、病院には行かれません。心配はされていませんでしたか?以前にも、微熱が出ることは、あったのでしょうか?

毎年、年に1~2度は風邪をひいて、微熱が出る事がありましたので、違和感は感じませんでしたが、期間が長引くに連れて、何となく不安を抱く様になっていました。

疲れが溜まっていたのに仕事を休みません。疲労から休暇をもらうということは、し難かったですか?

保育補助の仕事は、ギリギリの職員数で回っており、シフトを代わっていただく事が難しい職場でした。

毎日、夕方になると微熱が出たと伺いました。朝とか、昼間は大丈夫だったのでしょうか?

熱に関しては、朝~昼はまだ大丈夫で、だいたい午後3時くらいから、夕方の時間帯になって来る時間帯に上がって来ていました。

「風邪ではなくて、更年期障害かな?」と思われた時の心境を教えてください。

親しい友人に相談した時に、更年期障害の症状に似ている、と指摘されたのですが、更年期障害とはこんなにきつい物なのかしら、違う様な気がすると思いました。

腕、手首、右脚のふくらはぎに白いポツポツとした出来物がでてきます。当時、その症状をどのように感じていました?

普段、たくさんの保育園児に囲まれて、風邪が流行ったり、ばい菌なども日常的にもらったりしているのだな、お子様は身体が丈夫だけど、私はもう50歳で、抵抗力が落ちて来ていて、出来物が出るのかな、と思っていました。

毎日、夕方になると微熱が出ているのに、結局、1ヵ月間も病院に行かれません。当時の心境を教えてください。

毎日、体調が悪くて一向に改善されず、とても心細かったです。もう少し様子を見よう、明日には良くなっているかも知れない、と日々考えていた様に思います。

この頃、毎日、「ロキソニン」とか「バファリン」などの解熱鎮痛剤を服用されたのですか?一日どれくらい飲んでいましたか?

朝の出勤前に飲んで、少し体調が落ち着いた状態で仕事をして、帰宅後は、基本的には飲まない様にしていました。それでも家事をしていて辛くなって来ると、飲んでいました。

車を運転中に眉間の奥が「キーン」と痛くなります。運転は大丈夫だったのでしょうか?痛みはどれくらい続きましたか・その後も現れましたか?

ちょうど、風邪をひいて頭が、ぼーっとしている時など、眉間の奥に違和感を感じる事がありましたが、それと同じ様な感覚でした。耐えられない痛みではないのですが、のぼせた様な、気持ちが悪い感じでした。
運転に支障をきたす様な違和感ではありませんでした。

振り返り、もっと早く病院に行けばよかったと思われますか?

体調不良の原因が、婦人科系の物なのか、内科系の物なのか、もう少し見極めてから病院に行こうと思っていました。
今になって思えば、血液検査だけでも、とりあえず受けるべきであったと思います。

近所の婦人科クリニックで処方された漢方薬を服用したら、症状が軽くなります。これは薬が効いたということでしょうか?

具体的には、「当帰芍薬散」という漢方薬でした。薬が効いたという事かどうかはわからないのですが、飲んだ後、一時的に体調が楽になっていました。

12月中旬、体調が悪化していきました。ご家族の方は、どの程度、その事実を知っていたのでしょうか?

体調が悪化しても、起きていられずに寝込むという事はなかったので、家族は、気付かなかったと思います。

白土クリニックで血液検査を受けた翌日、白血球の数が少ないと言われます。この時、白血病の予感はしていましたか?

していませんでした。まさか自分がそんな大変な病気になるとは想像も出来ませんでした。

すぐに、紹介先の横浜市立大学附属病院に行った方が良かったと思うのですが、4日後の初診受付まで待ってしまいます。当時の心境を教えてください。

ちゃんと、予約の日まで待たなければいけない、と思っているうちに、いよいよ体調は底打ちし、動けなくなりました。あまりにも急な体調悪化だったので、非常に驚きました。予約した日がたまたま夫の仕事が休みの日だったので、その日なら車を出してもらえる、と思って待ちました。

12月26日、検査の結果、白血病と告げられます。どのように感じましたか?同席されたご主人の様子はいかがでしたか?

体調不良の原因は、これだったのか、怖いと感じました。
夫は、ポロポロと涙を流して、まだ若いのにという様な事を言っていました。

「何もしないと2週間で死にます」と言われた時、どのように感じましたか?

逆に、治療をすれば生きられるんだと治療に対する勇気を得られました。

蜂窩織炎(ほうかしきえん)の状態はいかがでしたか?

水膨れを潰す処置を受けた後、ズキズキと何日間も痛みました。
患部を上げて横になる様にとのアドバイスを受けて、台の上に足を乗せた状態で就寝していました。

急性骨髄性白血病の治療をしたいのに、まず、蜂窩織炎(ほうかしきえん)の治療を、年末から年始にかけて行っている時の心境について教えてください。

良くなっておくれ、と足の傷に向かっていつも話しかけて念じていました。

抗がん剤治療(寛解導入療法)はいかがでしたか?

以前見ていた、同じ様な治療を受けていたお子様たちは、こんな風に苦しい思いをしていたのか、見ているだけではわからなかったと身にしみて思いました。

無菌室での生活は、いかがでしたか?当時の状況と合わせて教えてください。

ひと月近く、体調が悪い中、無機質な無菌室で孤独と戦いながら耐えて過ごす、精神的にもとても辛いものでした。
ただ、小さな窓から見える、鳥が飛んでいる様子や、空の色などに、いやされていました。
外の空気が吸いたくて仕方がなかったです。

無事、寛解に至ります。どのように感じられましたか?

ありがたい、としみじみ思いましたが、同時に、再発、という文字も脳裏から消える事がありませんでした。

寛解後療法(地固め療法)を受けるまでの期間、自宅で療養しています。どのように過ごされていたのでしょうか?

次に入院すればまた、ひと月は出て来られない、という思いがあり、家族とたくさんの楽しい時を過ごす様に心がけました。

寛解後療法(地固め療法)と、再び始まった無菌室での生活は、いかがでしたか?

二回目という事で勝手がわかったせいか、少し肩の力を抜いて過ごす事が出来ました。

体調が改善し、むしろ、死を意識するようになります。当時のお気持ちを教えてください。

面会に来ていた家族が帰ったあと、ふと、自分の状況に関して、初めて、何故?と疑問が湧きました。
頭髪が抜けているのも、点滴がいっぱい付いているのも、一人ぼっちでベッドにいるのも、全てに疑問を感じ、何故自分はここにいて一体何をしているのだろうと思い、ことの重大さに思いが及んだ時に、恐怖を感じました。

息子さんたちの骨髄液が使えると知らされた時の心境を教えてください。お二人の息子さんのうち、なぜ、長男の骨髄液を入れてもらうことになったのでしょうか?

親子間では、適合する率は低いと認識しておりましたので、最初は信じられませんでした。
更に、息子二人の白血球の型が全く同じだという結果を聞いて、鳥肌が立つ思いでした。
次男は、国外で生活をしていましたので、予定を立てる事が容易ではなかったため、必然的に長男に決まった様です。

ご長男は、ドナーになることに、何と言われていましたか?

父親とも相談して、自分がドナーになる事を決心したと報告して来ました。

息子さんからの骨髄液を受け入れることを、どのように感じられていましたか?

ドナーを待っておられる患者さんがたくさんおられるのに、私は身近にドナーを見つけられる事が出来て、恵まれている、本当にありがたい、と心から感謝しました。

骨髄移植(造血幹細胞移植)の前処理の治療はいかがでしたか?きつさ、つらさと合わせて教えてください。

放射線全身照射は、自分の造血機能を徹底的に破壊しているという実感があり、不気味な恐怖感がありました。
抗がん剤についても、致死量を越える量を入れるとの説明を受け、凍りつく様な怖さを感じました。
高熱にうなされて、のたうち回る程苦しかったのを覚えています。

骨髄移植中にドナーの息子さん(長男)が、病室に点滴棒を押しながら現れた時のお気持ちを教えてください。

目を疑う瞬間でしたが、すぐに、ああ、気が気でなくて様子を見に来たのだな、とわかりました。
しかし息子の身体が心配で、無理はして欲しくない、と強く思いました。

肺水症を経て、2014年8月に退院したとき、どのように感じられましたか?

身体は弱り切って寝てばかりの日々でしたが、病院の外の空気を吸える事、自分の家の中にいられる事が、嘘の様でした。

自宅に戻り、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

精神的には落ち着いていました。戻って来られた事の喜びを噛み締めていました。

病気と治療で失った、筋力と体力は、どのように回復していきましたか?

無理する事ができず、ひたすら療養に励みました。体力も筋力も、回復は遅々として進まず、一年間はほとんど寝て過ごしました。
二年目くらいから、少しずつ友人と会ったり、家族と買い物に出かけたりする事が出来る様になりました。

血液が入れ替わり、変わったと感じることはありますか?

内蔵の粘膜なども入れ替わったせいか、腸の働きが断然良くなったと自覚しています。
それから、気のせいかも知れませんが、息子ののんびりした性格に、どこか似て来ている様な気がします。

退院後、自宅ではどのように過ごされていましたか?

お陰様で、すぐに復職しなければならない状況ではなかったので、心身ともにゆっくり療養する事が出来ました。

移植後3年目の今年、復職されます。保育園ではなく、養護学校にされたのはなぜですか?

小さいお子様が大勢いる保育園には、感染症を避ける意味から、戻らない方が良い、と主治医からアドバイスを受けたためです。
養護学校でも、インフルエンザ等が流行する事はありますが、比較的、その危険性が少ないとされる部門への配属を条件に、復職させて頂きました。

がんを経験した高松さんにとって、再び働くということはどういうことですか?

一度は諦めていた事でした。こうして、元気になって家に帰って来られただけで十分だと考えていましたので、自分でも、復職した事が信じられないくらいです。

急性骨髄性白血病という、がんを経験して感じたことを教えてください。

自分の生命が終わってしまうのかも知れないという危機感が、実際に身に迫って来る経験は、言葉に尽くせない程の恐怖でした。
しかし、その経験のお陰で、自分がどれだけ、周りの人に支えられて生かされているのかという事に、初めて気付く事が出来ました。
こんなに、自分という存在を愛しく感じ、大切に思う事が出来たのは、病気を経験した後が初めてでした。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  1. 感謝
  2. 幸福
  3. 自信

【失ったもの】

  1. なし

大切にしている言葉

Take it easy, It’s OK!

現在治療中の方々に伝えたいこと

厳しく辛い治療を受けていた頃、「これは私の新しい仕事だ。私は転職したんだ」と考える様に心がけていました。
仕事は、深く考えずに淡々とこなさなければならない時もありますよね。そんな風に、仕事のルーチンとして捉えてみると、気持ちが楽になる事がありました。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

面会や、洗濯物等のお世話や、医療費関係の手続きなど、やっていただく事が山積していて、大変な事と思います。
患者にとって、家族が唯一、心より頼れる存在です。家族の方々の心身の健康維持にも是非、気を配って頂いて、時には気分転換なども上手になさりながら、患者に寄り添って頂きたいと思っています。

高松さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

  1. 養護学校の児童、生徒さん達との、温かく素敵な心の触れ合いを、現在もこれからも、ずっと続けて行きたいです。
  2. 以前、小児病棟で治療を受けている児童、生徒さん達に日々接していた自分自身に対する戒めの様な気持ちで、今回私は入院中に闘病記を書いていました。
    お子さん達が、治療を受ける中でどの様な事をどの様に感じているのか、それを実際に身を持って体験する機会を与えられたのだと感じ、お子さんたちの代わりに、言葉でそれらを表現して、お子さんに関わる方々、医療関係者や保育士、教員、そして親御さんなどにも、お伝えしていきたいという願いを持って、苦しい治療の中、文字通り必死で書きました。
    お子さんの本当の辛さに寄り添えず、頭の中で想像して理解したつもりになっていた、以前の自分に対して慄然とし、患者であるお子さん達に申し訳ないと心から感じました。
    是非、病気と闘っているお子さん達に関わる全ての人達に、目を通して頂いて、お子さん達が全力で頑張る手助けをしてもらいたいという夢を持っています。

こちらで閲覧可能です。
アメーバブログ 「ズッコケ闘病記」たーちゃんの場合

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 考える。
  2. 自分のせいにする。
  3. 反省する。

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 心を動かす。
  2. 笑う。
  3. 今を生きる。

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. いつも楽しそうですね。
  2. ご家族に支えられて幸せですね。

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

この病気になって、どうですか?

復職する際に大切なこと

  1. 感謝する。
  2. 遠慮しない。
  3. やりたい事を積極的にする。

当時参考にした本

  1. 蜩ノ記 葉室麟 著
  2. 考えない練習 小池龍之介 著
  3. すーちゃん 益田ミリ 著

 

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取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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