急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「忙しい毎日」
- 第2話「夜になると出る微熱」
- 第3話「眉間の奥のしびれ」
- 第4話「悪化する体調」
- 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
- 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
- 第7話「寛解を告げられて」
- 第8話「地固め療法」
- 第9話「骨髄の提供者」
- 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
- 第11話「合併症~退院へ」
- 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」
第3話「眉間の奥のしびれ」
2012年から葉山町立の保育園と横浜市立大学附属病院にある院内保育園で保育補助として勤務しだした神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2013年当時51歳)は、2013年11月から夕方になると微熱が出ていた。
2013年12月、疲れていていたが、仕事は休まなかった。
毎日、微熱のことが気になる高松さんは、夕方、仕事から帰宅すると、まず体温計で測定。
神経質になり、1日に3回も測るほどだった。
そして市販の解熱剤「ロキソニン」とか「バファリン」を服用して様子をみる日が3週間目になっていた。
12月中旬、車で職場まで運転していたときのこと、急に眉間の奥がキーンとしびれた。
「なにこれ?!」
まるで、水泳をしていて鼻に水が入ってしまい「キーン」とするような嫌な痛みで頭がくらくらした。
ハッとして、これはもう風邪とか更年期障害とか、そう言ったものではないような気がしてくる。
不安が徐々に大きくなり、正直、心の中では大きな病気なのかな…?そんな気持ちすら湧いてくる。
病院に行こうかどうか迷って夫に相談すると、こう言われた。
「まだ、(病院に行かなくても)いいんじゃない…!?」
病院で診てもらい、大変な病気だと言われるのが怖いから、あえて病院には行かない、そんな日が続く。
ともかく、事実を知るのが怖いのだ。
やがて、毎夕の発熱は37℃後半にまで上がりだしてきた。
夫に心配をかけたくない高松さんは、12月19日、一人で近所の婦人科クリニックを訪れた。
この日は、坂道を登るとゼーハー、ゼーハーと息が荒くなるほどだった。
クリニックで若い30代の男性医師に診てもらうと漢方薬を処方された。
もしこの薬が効いたら更年期障害が疑われるという説明だった。
帰宅して服用すると、微熱は下がり、頭痛もひいた。
「なんだ、やっぱり更年期障害だったんだ…。(よかった)漢方薬で治った!」そう喜んだ。
しかし、後日、職場の同僚からこう言われる
「でも、鼻声は治っていないよね」
いまひとつスッキリしない状態だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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