急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「忙しい毎日」
- 第2話「夜になると出る微熱」
- 第3話「眉間の奥のしびれ」
- 第4話「悪化する体調」
- 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
- 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
- 第7話「寛解を告げられて」
- 第8話「地固め療法」
- 第9話「骨髄の提供者」
- 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
- 第11話「合併症~退院へ」
- 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」
第2話「夜になると出る微熱」
2012年から葉山町立の保育園と横浜市立大学附属病院にある院内保育園で保育補助として勤務しだした神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2013年当時51歳)は、忙しい毎日を送っていた。
2013年・夏。
保育士補助として働き出してから1年が経っていた。
真夏の暑さの中、一日中、子供たちの世話をする激務。
特に病院内の保育園での仕事は医療的な面からも配慮しなくてはならないので精神的にクタクタだった。
この頃の高松家はと言うと、子供たちはすでに大きくなり、それぞれの生活があった。
長女は大学を卒業して社会人、長男(21歳)は大学四年生、次男(19歳)は大学1年生。
子育ては一段落し、夫と長男の3人で暮らしていた。
しかし、家事がなくなるわけではないから、仕事から帰宅すると夕食の準備、掃除、洗濯と、家のこともしっかりとこなす毎日。
疲れはたまる一方だった。
秋になり11月、どういう訳か夜になると37℃前半の微熱が出る。
「風邪でも引いたのかな?働きすぎだもんね…」そんな感じにとらえていた。
薬剤師の夫から、仕事を減らしたらどうか…と言われる。
しかし、翌12月のシフトは、既に決められていたので、年内は仕事を減らすことができない。
だから、とりあえず市販の風邪薬を服用し様子をみた。
しかし…。
毎日、夕方から夜にかけて出てくる微熱は、その後も続く。
「もしかして、風邪じゃなくて…、更年期障害なのかな?」そんなことも思いだす。
やがて、腕、手首、そして右脚のふくらはぎに白いポツポツとした出来物が出てきた。
この頃、夫からこう言われている。
「最近、疲れたという口癖が増えているよ…」
ただ、日中は36℃台の平熱のため、病院には行かず様子をみていた。
次のページを読む >> 第3話「眉間の奥のしびれ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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