【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー

急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
  2. 第1話「忙しい毎日」
  3. 第2話「夜になると出る微熱」
  4. 第3話「眉間の奥のしびれ」
  5. 第4話「悪化する体調」
  6. 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
  7. 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
  8. 第7話「寛解を告げられて」
  9. 第8話「地固め療法」
  10. 第9話「骨髄の提供者」
  11. 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
  12. 第11話「合併症~退院へ」
  13. 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」

第12話「新たな人生の4年目を迎えて」

急性骨髄性白血病を患い、寛解導入療法(DIVR(ダウノルビシン)とAra-C(キロサイド))、寛解後療法(地固め療法、1回目(ノバントロン、キロサイド)、2回目(ダウノマイシン、キロサイド))2コース、そして造血幹細胞移植を受けた神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2014年当時51歳)は、自宅に戻った。

2014年・夏。
高松さんは、まるで生まれ変わったかのような新鮮な気持ちで、毎日を過ごしていた。
骨髄移植(造血幹細胞移植)、自分の血液が新たなものに入れ替わったのだから、そのような心境になるのは自然なことかもしれない。

家にいることが楽しかった。
周囲のすべてが素晴らしい世界に見える。
新しくもらった命。
自分は今年、1歳なんだ…、そんな風にも感じた。
自宅で静養していると、地元逗子市で毎年開催される「ふるさと祭り」のおはやしの音がかすかに聞こえた。
肺水腫を治療していたとき、一時は全く聞こえなかった聴力が、徐々に回復してきた。

「ああ…、確かに…、こんな感じの音だった、盆踊りの、おはやしの音」

自分がもといた場所に戻ってきている実感がする。

高松家には10歳になるメスの北海道犬「ピリカ」ちゃんがいた。

年齢を重ねたため、それまで家の外にいたが、高松さんの退院にあわせて、家の中に入れてあげた。
そのピリカちゃんと一緒に過ごす毎日。
幸せだった。

ピリカちゃんがかわいいこともあるが、病気をしてから家族の世話になってばかりいた自分が、今度はこうして愛犬の世話をできる立場になったことが嬉しかった。

それから…、毎年、誕生日を迎えるたびに、幸福を感じた。

今年(2017年)6月、昔の職場の特別支援養護学校に連絡してみた。
体力が戻ってきたので、自分にも何かできないかと、久しぶりに電話した。
すると、職員不足で困っていた同僚から大歓迎の反応が来て、すぐに面接。
話はとんとん拍子で進み、6年ぶりに教員として採用が決まった。
週に2日間、非常勤の教員で元の世界に戻る。

2017年9月4日、その初日を迎えた。

いま…、高松さんは神奈川県立金沢養護学校で教えている。

自宅のある逗子市から京急、シーサイドラインと乗って、1時間ほどの通勤。
最寄駅から職場まで電車通勤する途中に、かつて無菌室に入院していた横浜市立大学附属病院がある。

「以前は、この駅で降りて病院に通っていたけど…、いまは通り過ぎて職場に向かっている」

苦難を乗り越え、報われた感じがする瞬間だ。

骨髄移植から3年が経ち、合併症に注意する期間も無事に過ぎた。

かけがえのない日常を取り戻すと同時に、新たな人生の4年目を迎えた高松さんだ。

>>高松珠代さんの「インタビュー」はこちら

>>高松珠代さんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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