急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「忙しい毎日」
- 第2話「夜になると出る微熱」
- 第3話「眉間の奥のしびれ」
- 第4話「悪化する体調」
- 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
- 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
- 第7話「寛解を告げられて」
- 第8話「地固め療法」
- 第9話「骨髄の提供者」
- 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
- 第11話「合併症~退院へ」
- 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」
第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
2014年1月より急性骨髄性白血病の寛解導入療法(ダウノマイシン、キロサイド)、2月より寛解後療法(地固め療法、1回目(ノバントロン、キロサイド)、2回目(ダウノマイシン、キロサイド))を受けていた神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2013年当時51歳)は、息子の骨髄を移植する造血幹細胞移植を受けることになった。
この年(2014年)のゴールデンウィーク後の5月9日、高松さんは、骨髄移植のために入院した。
5月12日、まず、骨髄液を点滴で入れるためのCVカテーテルを首に取り付けた。
その後、4日間、全身に放射線を照射する治療。
新たな骨髄を身体に入れるための前処置として、高松さんの身体にある血液細胞を完全に破滅させる必要があるからだ。
放射線治療だけでも十分にきついが、それから2日間、抗がん剤(エンドキサン)とサイモグロブリンを投与して、徹底的に身体の中の血液細胞を叩いた。まさに血液の入れ替えを行うための前準備だ。
5月19日、GVHD(移植片対宿主病)対策のための薬を投与。
そして移植の日、2014年5月21日。
前日にから入院していた長男は手術室に移動し、腰椎から骨髄液を抜く処置を受けていた。
目標は800ml。
母親の命を救うため、オペ室でがんばっていた。
そして…。
この日、無菌室で造血幹細胞移植を待っていた高松さんのもとに主治医がやってきて、ベッド上の台の上に、真っ赤な色をした骨髄液が入ったビニールパックを3つ並べた。
「これが、ドナー(=息子)さんからの骨髄液です」
それを見て、気が動転した高松さんは、目から涙があふれ出た。
息子から、こんなに大量の血(骨髄液)を抜き取るなんて…。
「こんなにたくさん採ったんですか?!」
思わずそう叫んでしまう。
同時に、自分は取り返しのつかないことを息子にしてしまった…、そう思い、自分を責める。
しかし、移植を急がなければならない主治医は、淡々と作業を進め、高松さんに取り付けられているCVポートに、チューブ、骨髄液のパックと繋ぎ、移植を始めた。
終了まで、約3時間の治療が始まった。
自らの骨髄液を提供し母親を助けようとしている長男、心から心配している長女、次男、夫に思いを馳せ、提供された骨髄液の一滴も無駄にせず、必ずや元気になると心に誓った。
次のページを読む >> 第11話「合併症~退院へ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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