急性骨髄性白血病 サバイバー 高松珠代さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】高松珠代さん 急性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「忙しい毎日」
- 第2話「夜になると出る微熱」
- 第3話「眉間の奥のしびれ」
- 第4話「悪化する体調」
- 第5話「急性骨髄性白血病の告知」
- 第6話「抗生剤と抗がん剤治療」
- 第7話「寛解を告げられて」
- 第8話「地固め療法」
- 第9話「骨髄の提供者」
- 第10話「息子からの骨髄移植(造血幹細胞移植)」
- 第11話「合併症~退院へ」
- 第12話「新たな人生の4年目を迎えて」
第9話「骨髄の提供者」
急性骨髄性白血病と診断された神奈川県逗子市在住の高松珠代さん(54歳、2013年当時51歳)は、蜂窩織炎(ほうかしきえん)の治療のあと、2014年1月より寛解導入療法(ダウノマイシン)とAra-C(キロサイド))、2月より寛解後療法(地固め療法、ノバントロン、キロサイド)を受けていた。
がん患者は、体調がよくなるにつれて、心が明るくなるという単純なものでないときがある。
なぜなら、本当に体調が悪い時は不安になる精神的余裕すらないからだ。
むしろ、休薬中とか、体調が改善したときに、初めて考える余裕ができて、良くないことを考えだすことがある。
この時の高松さんは、まさにそれだった。
急性骨髄性白血病は、骨髄移植(造血幹細胞移植)の骨髄提供者が現れない限り、寛解後療法(地固め療法)を続ける可能性がある。
高松さんの場合、骨髄の提供者として、妹の次に考えられたのは娘と息子たち。
しかし、長女には生まれたばかりの赤ちゃんがいたので、母親から骨髄液を抜くことは検討できない。
長男と次男が協力を申し出て、白血球の型を調べたが、高松さんの希少な型(タイプ)にあう骨髄の可能性は低いと目された。
こうなると骨髄バンクに登録されている他の人の骨髄を調べることになるが、身内で見つかるよりももっと可能性が低いと言われ悩ましい状態になった。
そして、3回目の抗がん剤治療、地固め療法(ダウノマイシン、キロサイド)第2コースが、3月27日から始まった。
高松さんは、抗がん剤(ダウノマイシン、キロサイド)治療を淡々とこなしていった。
そんな3月下旬のこと、主治医が病室に顔をだし、こう言う。
「息子さんたちのHLA検査の結果が出たんですが…、はい、移植可能です」
その瞬間、すべての音が消え、シーンとした感じだった。
信じられない思いだった。
息子に命を助けてもらえる…。
白血球の型を調べる6項目の内、4項目で合致していて、通常であれば、5項目が欲しい所だが、母子間の移植は、実際に血がつながっている関係なので、理想的ともいえると説明された。
これなら移植したあとの拒絶反応も軽く済む可能性があるという。
地固め療法第2コース、無菌室での安静期間を終え、4月17日に退院。
いよいよ、ゴールデンウィーク明けに、骨髄移植という大きな治療が始まる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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