卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第12話「抗がん剤治療」
2015年に卵管がんがみつかった東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、3月にがんを摘出する手術を受けた。いよいよ抗がん剤治療が始まる。
病院に戻った翌日(3月24日)から抗がん剤治療が予定されていた。
第1クール目の初日。
点滴によりパクリタキセルとカルボプラチンを投与。
さっそくその夜から倦怠感と関節の痛みを感じたが、3日目にもなると副作用はかなり和らいだ。
3週間を1クールとするこの治療の初回投与を無事に終え退院。
手術と合わせ1ヵ月弱の入院生活が終わった。
2クール目以降は3泊4日の短期入院で抗がん剤を投与。
その後2週間自宅で回復に充てるものに替わった。
そしてこのクールから予定通り「TC+アバスチン」に切り替わる。
抗がん剤治療の第1クールを終了して2週間が経ったころから、髪の毛が抜け始めた。
脱毛はつらい。
まつげや眉毛が抜けると人相も変わるし、美容という課題も悩みの一つとして加わるからだ。
柳沼さんはいつも娘と一緒にお風呂に入っていたが、脱毛用帽子をかぶって入浴していた。
髪の毛がない姿を家族の誰にも見せたくないし、子供を驚かせたくなかった。
この頃の柳沼家はというと、家族5人暮らしだった。
中絶手術を受けた2月、静岡から上京した両親が、今後は何かと大変になるだろうし、2歳の娘(=孫)の世話もあるからと住み込みで支えてくれていた。
夫は仕事、柳沼さんは定期的に入院。
でも、柳沼さんの両親が家にいて家事のフォローや幼い娘の面倒を見てくれる。
柳沼さんの病気を機に、家族のきずなが一層、深まっていた。
5月13日から第3クール、6月3日から第4クール。
髪の毛はすっかり抜け落ち、吐き気や立ちくらみといった症状もあった。時々風邪も引いた。
だが、柳沼さんは、いろんな感情を押し殺し淡々と抗がん剤治療を繰り返し、毎日を乗り越えていった。
第4クール目まで抗がん剤治療は順調に進んでいた。
しかし、6月に入ると薬による骨髄抑制がきつくなり、休薬期を経てもなかなか血液中の好中球等の値が回復してこない。
医師は第5クールの開始予定を遅らせると同時に、今後は薬の量を減らすことを決定した。
次のページを読む >> 第13話「通院治療と復職へ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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