肺腺がん ステージ4 サバイバー 森山宏則さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森山宏則さん 肺腺がん(肺がん) ステージ4 サバイバー
- 第1話「肺に陰影」
- 第2話「半年というキーワード」
- 第3話「命と向き合うつらい日々」
- 第4話「胸腔鏡手術」
- 第5話「経過観察にて」
- 第6話「再発」
- 第7話「肺腺がんの転移、ステージ4」
- 第8話「長期休暇、長い治療へ」
- 第9話「自分と向き合い、死を覚悟して」
- 第10話「運命を受け入れて前向きに」
- 第11話「がんの影が縮小」
- 第12話「肺がん発症から8年目」
第8話「長期休暇、長い治療へ」
2010年、胸腔鏡による肺腺がん(肺がん)の手術を受けた宮城県仙台市在住の森山宏則さん(45歳、2012年当時40歳)は、オペから1年半後の2012年にがんの再発を告げられた。3ヵ所(右肺門リンパ節、左肺、右胸壁)に転移し肺腺がん(ステージ4)だった。
生検が終わり退院した翌日、メールで職場に報告した。
書いたメールの詳細は覚えていないが、こんな感じだ。
「これまでお伝えできていませんでしたが、2年前に入院したのは実は肺がんの治療のためでした。今回の検査でがんの転移が解りこれから長い治療に入ります。つきましてはしばらく仕事を休ませてください。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願い致します」
翌日出勤し上司と別室で話した際、優しい言葉をかけられた。
「ゆっくり、しっかり休んで、また元気になって戻ってきてください。待っています」
温かい言葉をかけられて嬉しかった。
でも、「俺は二度と仕事には戻れないかもしれないな…」そんな想いが頭をよぎった。
この時、自分が元気になって職場に復帰できるイメージが湧かなかった。
この頃の森山さんはいつも最悪のことを考えて自分の気持ちをコントロールしていた。
つまり明るい希望をもって、しかし後で裏切られる結果となるのが怖いから、まず自分は「死ぬんだろう」というところを出発点にした。
その上でそうならない兆候や、良い検査結果が出ると最悪の出発点よりも少し上に来たと幸せに感じるように気持ちをコントロールしていく。
2012年5月10日、長期の休職に入った。
妻はすべて自分の判断で決めていく森山さんを尊重し、森山さんの考えや思いに賛成してくれた。
改めて妻に感謝すると同時に素晴らしい人と結婚できたと、ありがたみをかみしめる。
今後は職場を休んで家に居ることになるため、子供たちにもがんの事実を打ち明けることにした。
正直、どんな反応を示すか心配だった。
この日、中学3年生と小学6年生の息子たちが学校の宿題を終わらせるためにリビングで勉強していた。
「ちょっと話があるんだけど…いいかな、…実はパパ、肺がんなんだよ…」
思い切ってそう言うと、上の息子は「えっ…、そう」と言ったあと再び数学の問題を真剣に解いている。
下の息子に関しては返事すらしてくれない。
すごくそっけない反応だった。
まったく気にしていないのか、意味が解らないのか、いずれにせよ森山さんの心配は杞憂に終わりホッとした。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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